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カナダ

二年既卒就職記
あらすじ

青年は、資本主義的教育制度の中で「優秀な学生」としての役割を果たしていた。サークルの代表を務め、学業にも真摯に取り組んでいた彼は、制度の中で「模範的労働力予備軍」として育成されていた。しかし、彼には致命的な欠陥があった。それは、自己を市場に売り込む能力、すなわち「自己商品化」の技術に欠けていたことである。

資本主義社会における就職活動とは、労働力の商品化の儀式であり、企業という資本家は、より効率的に利益を生む「人材」を選別する。彼の「なんとなく好きだから」という志望動機は、資本主義的合理性に反する曖昧さであり、選考においては即座に排除された。

敗北した彼は、ワーキングホリデーという国外逃避を選ぶ。これは、資本主義の中心からの一時的離脱であり、疎外された労働者が自己を再構築するための「異国での再生」の試みである。しかし、これは単なる逃避ではなかった。彼の内なる闘志は、資本主義の暴力に屈することなく、語学力という新たな武器を手に再び戦場に戻る準備を進めていた。

オーストラリアの旗

"The Second Trial After Graduation — 

​SUMMERY

A Youth was fulfilling the role of a “model student” within the capitalist educational system. As a club leader and a diligent scholar, he was being cultivated as a prototype of the “ideal labor force in training.” Yet, he bore a fatal flaw: a lack of skill in marketing himself—what the system demands as the art of “self-commodification.”

In capitalist society, job hunting is a ritual of labor commodification, where corporations—as capitalists—select “human resources” optimized for profit generation. His vague motivation—“just because I like it”—stood in stark contradiction to capitalist rationality and was swiftly rejected in the selection process.

Defeated, he chose the path of escape: a working holiday abroad. This was a temporary departure from the capitalist core, a form of exile for the alienated worker seeking self-reconstruction in a foreign land. Yet, it was not mere flight. His inner resolve remained unbroken. Armed with newly sharpened language skills, he prepared to re-enter the battlefield and confront the violence of capitalism once more.

ENG TRANSLATION 

二年既卒就職記

私は2024年3月に卒業し、26年入社として就活を行いました。
この文章を読まれる方の多くは、不遇な「2度目」を経験された方だと

思います。
私は留年サークルのメンバーではありませんが、皆さんと同様に留年経験(フェニックスによりダブりなし)と、2度の就活を行なった経験があります。この既卒就活記を読んで、皆さんが参考にできる情
報があれば幸いです。

まずは、1度目の就活の話をします。
大学3年に上がるはずの2022年春、進級単位が足らず2度目の2年生を始めました。
陰キャぼっちも相まって、完全に就活の波に乗り遅れて、夏のインターンは一つも参加せず、説明会
にも行っていませんでした。
フェニックスにより秋からは3年生となりましたが遅れを取り戻すこともせず、さらに第一志望企業の
インターンに通ったことの慢心で完全に就活を舐めきっていました。

春休みに入ってもその調子でOBOG訪問すら行かず、面接の経験すらなかったため、第一志望どこ
ろかどこからも内定が出ませんでした。
そんな折、姉からワーホリを薦められ、自身も興味があったので就活のリセットを兼ねて卒業後にバ
ンクーバーでワーホリを始めることを決めました。
卒業後に行くことにした理由としては、大学の勉強にしっかりけりをつけて集中したかったという風に
面接などで話していましたが、実際は休学届を出し忘れていたためと父親が休学してまで行くことに
否定的であったためです。しかし、後述しますが、正直卒業したことは後悔しています。
そんなこんなで1度目の就活に区切りをつけました。
2024年4月、ワーホリと共に2度目の就活を始めました。
1度目の失敗を活かし、準備や下調べなどを行い、オンライン説明会にも参加することで、順調なス
タートを切れたと感じています。また、面接やグルディスなどの練習もオンラインで行うことができた
ので、時差を無視すれば海外からでもおおよそのことは不足なく行うことができました。

しかし、ワーホリ就活には唯一かつ最大の問題があります。
就活において大切なことは会社の人に顔と名前を覚えてもらうことです。そのためには直接会うこと
が非常に重要ですが、ワーホリ中に東京での社員懇談会に気軽に参加することなどできません。オ
ンラインでの説明会や座談会には積極的に参加しましたが、対面で企業の人と顔を合わせるという
点に関しては大きな遅れをとっていたと感じます。

2025年1月に帰国し、就活に本腰を入れ始めました。先輩にESの添削などもしていただき、人脈は
力であると感じました。ただ、卒業した弊害として、就活において必須の売り込み手段であるOBOG
訪問システムが利用できないということがありました。先輩からの助言で志望企業に電話をかけ
OBOG訪問を依頼し、7社ほどのOB面談や会社訪問に成功しましたが、志望度の高い企業は大学
経由のアポイントのみ受付の場合が多く、この時ばかりは卒業を後悔しました。しかし、説明会や
ワークショップにも参加して企業の方との交流を図り、この取り組みは内定に大きく貢献したと考えて
います。

ちなみに当時就活支援サービスのようなものを使っており、情報収集や面接練習などに役立てようと考えていたのですが、

全く興味のない企業の押し売りをされるだけなので使わない方が良いです。
以降は通常の選考などを経て、最終的には対面でのワークショップに参加した企業から内定をいた
だき、6月頭に就活を終えました。

Modern Architecture

2回の就活経験から言えることは、
・機を逃さず企業に顔と名前を売り込むこと
・広く交友を持っておくこと
・できれば在学中に終わらせること
の3点が大事であるということです。


最後まで読んでいただき

誠にありがとうございました。

全塾留年生扶翼会

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