全塾留年生扶翼会

留年堕落録 理工学部一年留年記
あらすじ
ある青年が、名門大学に希望を抱いて入学する。
しかし、日々の怠惰と自己欺瞞の中で、彼の歩みは静かに狂い始める。春の光、夏の沈黙、秋の逃避、そして冬の崩壊——一年を通じて彼は自らの弱さと向き合い、やがて「留年」という現実に直面する。 再び始まる一年。彼は過去を隠しながら新たな人間関係を築こうとするが、罪悪感と孤独は彼を離さない。学び直しの中で、彼はようやく自分の過ちと向き合い始める。だが、成績や人間関係の中で感じる違和感は、彼の心に静かに影を落とす。 彼は「恥」について繰り返し言及する。
そして留年とは遊びではない、と言いつつも、留年を笑いの対象としてとらえるこのサークルの門を叩いた。繰り返し自分を戒めつつも、
繰り返し堕落した。そのような自己矛盾を繰り返し、彼の償いは続いていく。
この手記は、若者の内面に潜む不安と希望、そして過ちからの再生を描いた、静かなる魂の記録である。
『人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。』
坂口安吾「堕落論」
Record of Decadence in Repetition: A Chronicle of Repeating the First Year in the Faculty of Science and Engineering
Synopsis
A young man enters a prestigious university, full of hope.
But within the haze of daily indolence and self-deception, his path quietly begins to falter. Spring’s light, summer’s silence, autumn’s escape, and winter’s collapse—over the course of a year, he confronts his own frailty and finally faces the reality of repeating the year.
A new year begins again. He tries to build new relationships while hiding his past, yet guilt and loneliness never leave him. In the process of relearning, he slowly begins to face his own mistakes. However, the unease he feels in grades and human connections casts a quiet shadow upon his heart.
He repeatedly speaks of “shame.”
Declaring that repeating a year is not a game, he knocks on the door of a student circle that treats it as a joke. Reprimanding himself again and again, he continues to relapse into decay. Through this recurring self-contradiction, his long process of atonement persists.
This memoir is a quiet chronicle of the soul—capturing the anxiety and hope hidden within a young man, and his rebirth through the experience of failure.
“Man does not change. He simply returns to being human. Man falls into decadence. So do patriots and saints. This cannot be prevented, nor can prevention save anyone. Man lives, and man falls. Outside of this, there is no convenient shortcut to save humanity.”
— Ango Sakaguchi, Discourse on Decadence
ENG TRANSLATION HERE
現役一留記
2023年入学
㈠ 堕落の1年
新一年生として入学してから留年が確定するまでの
1年間の出来事。
・春学期(4月〜7月末)
2023年4月 某進学校から一般受験で慶應義塾に現役で入学。いわゆる国立落ちであった。第一志望合格は叶わなかったものの、慶應の理工学部なら十分勉強出来るだろうという考えから浪人を選ばず慶應に進学することを選んだ。一般的な慶應義塾のイメージから大学にすぐに馴染める自信はなかったが、せっかく入ったなら学生生活も楽しみ、勉強でもいい成績を修めようと意気込んでいた。しかし、やはり明るい雰囲気やほとんど知り合いのいない環境の中で新しく人間関係を始めるのが難しく、サークルは活発なものには入れず、小規模なものにいくつか入るのみであった。
履修登録は新歓期間を利用してミスなく完了できていた。序盤は真面目に授業に出席し、放課後はサークル活動に行くか、高校同期と遊ぶ生活を送っていた。バイトは新生活が落ち着いた6月くらいからでいいやと思って先延ばしにし、結局12月まで始めなかった。

まず、春学期における失敗はこの時点で既に始まっていた。入学当初私は大学では勉強にそこまで力を入れなくてもいいと思っていた。よくあるバカな感じではあるのだが、同じような学生は少なくないと思う。高校時代、大学では好きな勉強ができて様々な経験を積むのに時間を使える場所だと語られることが多かった。そのため私には大学生が必死になって勉強している印象がなかった。また学部によって忙しさが全然違うので、勉強しなくていいというイメージも強ち間違いではなかった。実際初回授業が終わった直後にはSNSでコレジャナイ感を訴える投稿も多く見られた。
あわただしい4月を終え大学生活にも慣れてきた頃、私の堕落はここから始まるのだった。
5月あたりから徐々に出席のない授業は欠席してもテスト前に自力でなんとかなるからいいやと希望的観測をするようになった。更にほぼ毎日夜更かししてゲームをするようになったことで1限には出られず、その流れで他の授業をサボる日も増えていった。1限に出られなかった日はその失敗からやる気を失い、その次の授業から出席する気も起きなくなってしまうのだった。
また、自分でも気づかないうちに精神的にも堕落し始めていた。恥ずかしいことだが、自分と同じく大学に馴染めない者同士で冷笑や自虐に走っていたのだろう。うまくいかない自分に諦め、頑張らないことを無意識のうちに正当化し始めていた。
7月になると月末の期末試験に向けて皆勉強を始めるのだが、授業に出ていない故そもそも何から始めていいかわからない。受験の時の知識が残っているからなんとかなると思っていたが、テキストを開いてみると何を言っているのか全くわからない。徐々に焦り始め、現実逃避に走るようになる。一週間前あたりから漸く勉強を開始し、ほとんどの科目に一夜漬けで臨み、試験期間を終えた。
おそらくどんなに悪くても留年確定はないと確信してあとは夏休みと秋学期頑張れば進級できるだろうと思っていた。

・夏休み(8〜9月)
春学期末大変な思いをした反省から、長い夏休みを利用して春学期の復習と秋学期の予習に取り組もうと意気込んでいた。
しかし長い夏休み、目標も予定もないのに規則正しく生活して毎日勉強に励むのは簡単な話ではない。最初の決意も束の間毎日朝10時に寝て夕方5時に起き、起きている間はゲームとYouTubeに時間を使うだけの毎日を過ごしていた。
9月5日 成績発表。春学期の成績は必修の落単数8単位で、秋学期2科目以上落とすと留年が確定する状況だった。普通の人なら発狂しそうな成績だが秋学期の落単数をしっかり抑えれば進級は余裕だろうと思い、特段焦りはしなかった。

・秋学期(10月〜翌年1月末)
この秋学期は私にとって春学期の反省を活かし大学生活を軌道修正する最後のチャンスだった。前述のとおり残り2科目落とせば留年だが、心を入れ替えて真面目に勉強すれば進級も無理な話ではない。ところが、堕落はむしろ加速していくのが現実だった。
秋学期は春に比べ授業数が少なく、午後から登校する日は昼まで寝られるため、生活リズムが狂ってしまった。
また、秋学期自分の心を蝕んだのは孤独だった。春学期は自分のような学校に馴染めない者の数も少なくなく、共に苦悩を共有していた。しかし夏休みを挟むと皆それぞれのコミュニティを持ち、なんだかんだリアルの生活に適応していた。学校に行っても話せるような仲のいい友達やサークルの仲間などはほとんどいなかったので、徐々に学校に向く足が重くなった。1学期はよく行っていたサークル活動にも行かなくなり始めた。
そして遂に毎日朝までアニメを見て寝ずに学校に行き、空きコマで睡眠をとる生活を始めた。 無論そんな生活がうまく行くはずもなく、1限には出られなくなり、そのまま1日家に篭って過ごす生活に戻った。そして秋学期はほとんど学校に行くことなく年を越した。
1月末には期末試験を控えていたが今回は授業を受けていないことに加え、この試験で失敗すると留年確定というプレッシャーが重かった。そのせいで春学期の試験前以上に勉強が手につかなくなってしまった。焦りながらも勉強計画を立て、死ぬ気で勉強しようとしたが、現実逃避から気づけばスマホのゲームをしている始末。
試験を解いた感覚から、少なくとも2科目以上は落としたと確信し、憂鬱な状態で春休みに入る

春休み(2月、3月)
遊びに行くことで自分の気持ちを誤魔化しつつも頭の片隅では常に留年の恐怖に取り憑かれていた。
3月8日 成績発表 原級確定。落単数は※必修12単位(6科目)、第二外国語4単位、英語2単位、総合GPA0.91。
親に伝えたが大体察していたため特に驚かれなかった。
留年が確定した後、まずは自分の落とした科目、取り直す科目、目標の成績などをよく考えた。
次に原級者向けのガイダンスというzoom面談を受けた。ここでパニックになるのではなく冷静に行動できたのはよかったと思っている。
しかしながら、元から覚悟はできていたつもりでもいざ留年を目の前にしてみるとショックが大きく、引きこもりになる。4月からの生活を想像して気が重くなる。
※第二外国語は一年を通して8単位分が加算される。CDCDという評定だったため、4単位2科目分の落単に相当する。英語は後期のみ落単。
進級条件は必修科目の落単数10単位以下かつ、外国語科目の落単数4単位以下の場合進級となる。

●耐えの一年
留年が確定してから二回目の一年生を過ごした1年間の出来事
●春学期(4月~7月)
二回目の一年生が始まるこの春、自分の頭に浮かんだのは「耐え」だった。今まで一年間自分は嫌なことから逃げ続けてきた。その結果が原級だった。そしてこれからの一年は留年したことで自責の念や周りの目も気になり、今まで以上に過酷になるだろうと考えた。だからこそ、高い目標に圧倒されて希望的観測や現実逃避に走り自分を甘やかすのではなく、最低限、ギリギリのところでも耐え抜くことが重要だと強く思った。

4月、どうせもう一度やり直すことになるならサークル選びもやり直そうと思い、いくつか活発なサークルに一年生として入る。いきなり留年していることを言うと絶対に引かれるので留年は隠す。
次にクラス顔合わせがあった。ここで留年を隠し通そうか、どこかいいタイミングでカミングアウトしようかとか考えていたがもはやその必要もなかった。
自己紹介の時、学籍番号順に呼ばれるので一発目で呼ばれ留年がバレる。
頑張って気さくに話しかけていたので周りは優しかったが、留年した自分の相手をさせるのが申し訳なく、辛い。
肝心な授業の方は、去年落とした分の授業は受ける前提で、単位が取れた授業も受け直しができるらしく、なるべく多く申請した。去年落とした授業を受け直すと、思った以上にちゃんと勉強しないと理解できない内容だと分かった。いくつかの講義は去年一度も出席していなかったので、2年目にして完全に初見だった。去年の自分がいかに愚かだったかを痛感した。
ただ、ここでまたきつかったのが第二外国語である。二外はクラスで受けることになっており、週2回あるので相当の時間気まずい思いをして受けなければならない。幸いクラスの人は優しかったので普通に接していたが、
考えすぎてしまう性格も災いして精神的なストレスが蓄積されていく。
留年するようなやつとは関わりたくないとか迷惑だとか思われている気がして去年の同期と同じようには話せない。
サークルもまた然りであり、留年を隠している罪悪感と自分がそこにいてはいけないような居心地の悪さを常に感じながら過ごしていた。
6月、春学期も中盤に差し掛かり留年生活にも慣れてきたところでまた去年のように生活習慣が乱れ始めた。1週間のうちのほとんどが午後からの授業だったため、毎日朝4時くらいまでスマホを見て過ごし昼に起きる生活に変わった。そのため元々勉強に充てる予定の午前中は消え、夜は夜でスマホをしているので留年している割に勉強量は多くなかった。
7月、春学期の期末試験前だが、流石に去年の反省を踏まえて勉強した。始めるのは少し遅れたが対策はしっかりして臨み、無事実力を出し切ることができた。
夏休み(8月、9月)
夏休みは去年の反省から学費稼ぎの為のバイトをたくさん入れて引き篭もりにならないように勤めた。
バイトの他にサークル活動にも励んでいたが、先述の通りやはり居心地の悪さと言うものは常に付きまとう。サークルの先輩や同期はすごく優しいが、それがまた辛さを加速させる。というのも去年私はサークルに行ってはいたが中々深い友達はできず、大学で人間関係を構築するのに半ば疲れていた。去年諦めずにもっと積極的に関わるようにしたり、別のコミュニティに挑戦したりできなかったことが本当に悔しい。
バイトや勉強についても同様で、今年になってからできるようになったことが増えて成長を感じる反面、なんでこれが去年出来なかったのだろうと思うことが多い。
9月5日 成績発表。去年落とした授業は全て取り切り、フル単(笑)を達成した。受け直しをした授業もほとんど成績を上げることに成功した。ただ、元々の目標は勉強に全力を注ぎ、SやAを目指すことだったにも関わらず評定はBばかりだった。単位は無事取れたものの留年している割には残念な感じだった。

秋学期(10月〜翌年1月末)
夏休み中に新たに早朝バイトを始めたので、秋学期は二つのバイトを掛け持ちしながら水曜の午後、木曜と土曜の朝、日曜の朝と午後にバイトに行く生活を送っていた。また、サークルで三田祭に出展するため放課後や休日も準備に励んでいた。早朝バイトを始めたおかげで、生活リズムが改善するというバイト代以上の恩恵を受けることができた。春学期は平均して4時に寝て10時に起きる生活だったのが、秋学期は0時に寝て7時に起きる生活へと変わった。また、サークルにも取り組んでいたおかげで学校に行くモチベーションにもなったし人と会話することで部屋に閉じこもることもなかった。バイト、サークル、教室などあらゆる場面で人と関わることで、過去に自分を蝕んでいた冷笑や自虐などもしなくなったようにも感じた。この数か月で私の生活は着実に充実したものへと変わっていった。

中間試験
授業に毎回出席していたため忙しい時期でも勉強を間に合わせることができた。
ただ、バイトやサークルをせず勉強一筋で行っていれば1日平均4.5時間は勉強に充てられる計算になるが、勉強以外の活動に取り組んでいる分どうしても勉強時間は少なくなってしまう。しかしながら勉強以外の活動でエンジンをかけないと時間はあっても無 駄にするだけになってしまうので自分の選択も間違ってはいなかったと思っている。

ところが、12月あたりから中弛みし始めて度々授業を休んでしまうようになった。目を背けずに現実と向き合うと、これは本当に良くないと思う。あと少しで留年も終わるということでエネルギーが切れかけたのか、4月の頃に抱いていた覚悟が薄れ始めたのだろう。
冬休みは期末試験に向けてやろうと思っていたことがあったが、バイトとその疲労でほとんど着手できなかった。これは本当に残念である。しかしながら、お正月明けあたりから勉強計画を立てて少しずつ進めたことで、完璧とまではいかないが人並みには試験に臨めたと思っている。ただ、毎日机に向かってはいたものの、明らかに効率が悪かった。そして直前2日になると急にエンジンがかかり、そこそこの完成度で試験を迎えるパターンであった。
春休み(2月、3月)
2年目の試験期間はまともに勉強していたので、清々しい気持ちで春休みを迎えられた。ここで後期の成績発表の結果を残しておこうと思う。
※英語再々履修、他必修科目は落単なし、学期GPA2.89 総合GPA1.51
※英語は毎回出席もしていたし課題もしっかり取り組んでいたので、授業との相性が合わなかったと割り切った。
総合GPAには一度取ったDも加算されるため、再履修でいい成績を取っても再履修の評定とD評定の両方が加算される。(受け直しでC→Bなどのパターンは上書き可能)

㈢ 留年の感想編
留年について考えていたことがいくつかある。
・なぜ留年したのか
これを一言で言い切るのは難しいが、精神的な弱さ、未来の自分や他人がなんとかしてくれるだろうという甘い考え、嫌なことから目を背けたくなる癖などが原因なのではないかと考えた。大学生の留年にも色々あり、「学業よりも優先することがあった」とか「履修登録や試験時間をミスった」とかがよくあるパターンだと思う。自分の場合は「なんかわからないけど授業に行けなくなり勉強をサボってたら留年した」というパターンだった。このパターンも多いと思うが、そういう人は多分一度痛い目に遭わないと治らないと思う。大学生の怠惰などはありがちなことだが、軽視してはいけないと思った。

・留年を隠しても何もいいことはない
留年している旨を誰かに話して引かれたらショックを受けるだろう。だが隠し通して罪悪感と居心地の悪さを感じながら過ごすのもまた辛いものがある。今思えば、サークルに入った段階で言ってしまってもそこまで引かれなかっただろうなと思う。新一年生には受け入れられづらいと思うが、元同期あたりには言っても良かったと思っている。結局サークルの仲間などに留年をカミングアウトしたのは12月頃になってからだった。特に引かれることもなく、話してからは以前より気持ちが楽だった。
・留年は遊びではない
今年からやり直そうとサークルに入ったのも一種の甘えだと思う。留年の1年間は去年疎かにした学業に全力を注ぎ、取りこぼした単位を必死で取りに行く時間である。決して去年取りこぼした楽しみを啜りに行く時間ではない。ただ、1年目でやり残したことを2年以降も気にし続けることを防ぐという面では留年をして良かったと思う。また、ギリギリ進級出来ていた場合に比べ失敗から学んだことで精神的に大きく成長出来たのも留年のおかげなのではないかとも思っている。

・留年は面白くない
よく留年は学生の間で面白いものだと捉えられているように見える。自分も実際そうだった。しかし留年中、自分の留年を自虐などしてネタに振り切ることはしなかった。確かに留年は触れにくい話題ではあるが、留年してなおヘラヘラしているような人と一緒に勉強するのは周りの人も不安に感じる。留年生こそ真面目に過ごすことによって、周りの人も「何か事情があったんだろうな」という目を向けてくれるようになるはずだと思っていた。
・留年が受け入れられない
新しいクラスやサークルにも馴染み、留年に慣れて来たところで今度はふとした時に自分が留年していることを忘れていることに気づいた。普段新一年生として過ごしたり現二年生と今まで通り関わったりしていると、自分が新一年生であるような錯覚や無事進級した二年生であるような錯覚を覚えるようになる。そういった感覚がどこから来るのかを考えると、おそらく自分は留年確定から時間が経ち落ち着いた後でも自分の留年を受け入れられていないのではないかと思った。留年は周りから一年遅れることであり、何より去年1年間の過ごし方がまずかったことの証明でもある。将来への不安や去年の行いへの後悔で留年が受け入れられないのも無理はないが、どこかで向き合う姿勢にならないと同じ失敗を繰り返しかねない。

・留年を振り返って
留年を終え、一年間を振り返った反省として、このような生活だと普通の人が1年でやることを2年かけているだけになってしまっていると思った。留年したからには浮いた時間でなにか身になることをするとか、より良い成績を目指すとかしないとただ一年周りから遅れているだけになってしまう。
・留年が決まる前に
これは自分の過去の行動に対する後悔でしかないが、あらゆるタイミングで現実逃避癖が自分を悪い方向に導いていたと思っている。これから頑張れば単位取れるな♪と思うのではなくて、今どこまで勉強したのか、進度はどのくらいか、あと何をやる必要があるのか、など客観的、具体的に分析するべきだった。また、単位を取ると決めたなら授業は行く。もし仮に単位取得を諦めるなら計画を立てた上で切る。とにかく曖昧な思考、行動は命取りである。ふわっとした考えで切る、休む、出る、とやっていると時間も無駄にする上気づいた時に手遅れになる。確かに決断することや現実を見ることは人間にとってストレスになるが、これをできない人間が失敗するのだなと痛感した。

終章:留年の彼方に
2025年1月30日、再履修していた授業の最後のテストが終わった。この結果がどうであれ、進級は確定しているのだ。私はただ学年が一つ上がるだけなのに、受験が終わったときのような気持ちになっていた。それは同じ学年を二度繰り返す中で過去の行動への後悔、自分の立場の不安定感などを抱き、一刻も早く抜け出したいという息苦しさを常に感じていたからだろう。
春休みが過ぎ、一年越しに晴れて大学二年生となった。やっと時間が動き始めたような感覚を覚えた。今までは「大学二年目」であっても「大学二年生」ではなかったのだ。
留年は一年間遊ぶ時間でもなければ罪を償う時間でもない。ただマイナスをゼロに戻す期間だった。一年間苦しんだからと言って人はそんなに簡単には変わらない。今でも人と関わるのが嫌になるときもあるし、授業に行けない朝もある。一回留年を味わったからと言って二回目がないとは限らない。マイナスがゼロに戻ったからと言って、これからは放っておいても上昇していくわけではない。
今、私はようやく机に向かうことができている。焦りや自己嫌悪に流されず、「今日すべきこと」に目を向けられるようになった。けれど、過去は消えない。
進級の遅れも、GPAの低さも、すべて私の履歴として刻まれている。
それでも私は思う。
あの一年がなければ、何も気づけなかった。
そして、今もなお、その償いの途中にいるのだと。