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法律書

留年体験記

法学部法律学科2年

若き法学生が、自らの内面と社会の期待の狭間で揺れ動きながら、静かに崩れていく日々を綴った手記。 彼の人生は、努力と怠惰、希望と絶望、誇りと羞恥の間を行き来しながら、やがて一つの岐路にたどり着く。 家族の崩壊、経済的困窮、そして孤独の中で、彼は「学ぶこと」と「生きること」の意味を問い直す。 その筆致は冷静でありながらも、どこか祈るような静けさを湛えている。 これは、ただの留年記ではない。 一人の青年が、自らの弱さと向き合いながら、それでもなお社会に戻ろうとする、魂の記録である。

裁判官のテーブル

A young law student, caught between the expectations of society and the weight of his own inner turmoil, chronicles his quiet descent through the years. His journey is marked by cycles of effort and collapse, hope and despair, pride and shame—leading him to a critical crossroads. Amid family breakdown, financial hardship, and growing isolation, he begins to question the meaning of learning and living. The tone is calm, yet carries a quiet, prayer-like intensity. This is not merely a record of academic failure. It is the soul-searching account of a young man confronting his own fragility, and still striving to return to society.

    ENG TRANSLATION
    UNDER CONST

    留年体験記 
    法学部法律学科2年 

    ​なぜ留年したのか、理由を挙げたらキリがないだろう。

    全て私のだらしなさに起因する。

    ただ、自分がどのような認知で生きていて留年に至ったのかを客観視するためにも、この留年記を記す。 

    私の周りの人々が口を揃えて言うのは、私が極端にオールオアナッシング思考をしているということだ。振り返ってみれば、中学受験で失敗して以降、勉強をろくにしてこなかった。高二の時はの学力は河合模試で偏差値42くらいだった。当然、現役では滑り止めの大学にも受からずに浪人した。浪人の四月に、当時通っていた予備校の講師にこう激励された、「一日サボったら取り返すのに三日かかる」と。浪人を始めた頃はモチベーションも高く、基礎から自分の足りないところと向き合うことで成績も伸びていった。しかし、秋にスランプが来た。模試の成績が振るわない、完璧に仕上げたはずの英文法分野で大失点している。数日、勉強が手につかず、そこから復帰できればよかったのだが、落ち込んでいる間に私はここで失った勉強を取り戻すのに何日かかるか計算していた。そして、ある時、頭の中で何かがプツンと切れて勉強を放棄してしまった。 

    そのようにして浪人を重ね、何度もアップダウンしながらなんとか合格した。多浪とはいえ、母校からはかなり稀な慶應合格だったので、父も恩師も喜んだ。(母は数年前に蒸発した。) 

    浪人した割には、周りとの年齢差はさほど気にならなかった

    入学した頃は、法学部に入ったからには法曹を目指そうと考えた。まもなく、他の法曹志望の学生が妙なバインダーを持っているのに気づいた。

    日吉駅前に大きな広告を出している司法試験予備校のものだ。

    隣の人が教材を開いているのが見えたが、とても大学がこのレベルでよくまとまっているものを作ってくれるとは思えなかった。

    さて、自分も司法試験予備校に行きたいと思ったが、浪人をしているので100万円以上かかる予備校代はなかなか出せるものではない、さらに当時から両親が熟年離婚しようと裁判で争っており、

    そちらの費用がかかるので土下座しても出せる状況ではなかった。 

    折しも、その頃、塾でのバイトが決まった。当時働いていたファミレスの2倍近い時給が魅力的だった。

    塾講師の仕事は楽しく、生徒からもそれなりの評価がもらえた。また、慢性的に人手が足りなかったため、

    代講や試験監督などによく入ったため、毎月10万近く稼ぐことができた。しかし、

    本来は勉強やサークルでの人間関係の構築に使うべき時間のほぼ全てをバイトに使っていた。

    1年の時はギリギリで進級したが、2年になってから受験生を持つようになると残業も増え、

    週6でバイトに入るのが当たり前となり、10連勤することもザラになってきた。だんだんと

    「大学行っても時給は出ない」と本末転倒なことを考えるようになり、大学は週に1回行くか行かないか

    という生活になった。テスト期間が夏期講習や直前講習が被り、朝バイトしてから昼テストを受け、

    夕方またバイトをするというスケジュール組んだ時は、バ畜仲間だと思っていた同僚が唖然としていた。 

    司法制度

    一番たちが悪かったのは、大学生活を崩壊させても「勉強する費用を稼ぐため」だと正当化していた。周りからは精神病質で触れづらい存在と思われていたため、この頃には知り合いもかなり減っていた。むしろ、大学の勉強についていけなくなると、もう後もどりできないので稼ぎ切るしかないという気持ちになり、ますますバイトにのめり込んだ。2年の秋に貯金が貯まり念願の予備校に通えた。ただ、その時にはもはや手遅れになっていた。この時期になってから0から法律を勉強し直したため、予備校の勉強したことが大学の講義に全く活きない、予備校に通い始めたはいいが持っている生徒の受験が近づき、残業が増え思うように学習が進まなかった。 

    留年が決まった時は、当然過ぎて乾いた笑いが出た。法学部では通称フェニックスと呼ばれる、留年した春学期に足りなかった単位数を取れたら、秋から進級できる制度がある。これを使えば問題ないと思っていたが、大いに就活や資格の勉強の妨げになる。何より、ここまで堕ちると大学に通うモチベーションが湧かない。合格した時に感極まって泣いた大学に、苦痛を感じながら通っている。 

     何をどう取り繕うと私立文系で留年は社会不適合者、人生お先真っ暗。もし、読んでいる人で留年しそうな人がいたら、堕ちていくことに勇気を使うのではなく、社会に戻ることに使ってほしい。 

    全塾留年生扶翼会

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