全塾留年生扶翼会



Third time pays for all
Summery
The author, having entered a prestigious university, finds themselves repeatedly stalled, lost, and drifting backward on the path to graduation. Three rounds of job hunting and two years of academic delay mark a journey not of progress, but of avoidance. While peers move forward, the author struggles to find a place in the world, consistently choosing not to choose.
Excitement over corporate outreach quickly fades into silence during interviews, and even when offers come, the prospect of working brings little hope. Entering society does not ease the discomfort; isolation persists, and the desire not to work remains unchanged despite career shifts.
This memoir is not a tale of triumph or transformation. It is the quiet record of a young person gradually fading into the background of society, weighed down by resignation and regret.
―And yet, the struggle goes on.
ENG TRANSLATION
三度目の正直記
こんにちは。
私は2012年に慶應義塾大学商学部に入学し、2018年に卒業しました。
4年生を2回繰り返し、就活を3回行いました。
その為、これから内容としては就活の事が中心になります。
この文章を読んで頂いた方に何かしらの一助になれば幸いです。
またこの場を借りて執筆の機会をくれた●●君に
感謝の意を捧げさせて頂きます。
始めに結論から申し上げさせて頂きますと、就活は受験の様な物です。
受験が始まってから受験勉強を行う受験生はいません。
受験が始まるまでに受験勉強を何の位行うかで結果が決まります。
それからダルくてなんか行く気起きないと思っている行事は行ったほうがいいです。
余計なお世話かもしれませんが、この内容だけ覚えて頂けると幸いです。
2015年私は4年生に進級しました。
リーマン不況を脱しつつあった企業の新卒採用意欲は前年度から続き上向き傾向にあり、就活生としては申し分ない状況でした。
一方で採用スケジュールの変更が行われており、スケジュール感を掴みづらかった思い出があります。
インターンは重視されつつありましたが、開催自体ない企業もあり今ほど重要視はされてなかった記憶があります。
私は高校時代一回成績不振で留年しており、気が置けない友人が少なく、出不精で人付き合いも薄い学生でした。
数少ない友人の情報からインターンの重要性を知りながら尻込みしてしまい、結果として一度もインターンへ行くことなく就活を終えました。
準備段階からダメダメでしたが、初年度の就活は恐らく人生で一番のモテ期になると思います。
特に連絡先を教えた訳でもないのに毎日様々な企業から電話が掛かってきてスケジュール帳は毎日ギッチリと埋まっておりました。

確か当時は8月から本採用開始で内定解禁が始まっていたと思いますが、八月一日からでも初見の企業からOB訪問を求められました。
その中には知る人ぞ知る企業もあれば、誰もが知る大企業もあり、私はすっかり有頂天になってしまい、毎日企業説明会への参加に精を出し、とにかくエントリー数を増やす事を重視しておりました。
OB訪問や企業説明会への参加は楽しく、日に4社や5社訪問する事もあり、100社程度は参加したので はないかと思います。
これは文系学部でありながらメーカーへの就職を目指していた事から、兎に角数打てば当たるだろうという考えから来ておりました。
当時はメーカーがホワイトで採用数が多い銀行やIT企業、サービス業はブラックだと考えておりました。

それまでの学生生活から働くのに向いてないと自覚していたので、入社をゴールとしてメーカーを志望しておりました。
しかし面接対策や業界研究を怠った結果、いざ採用が始まってみると撃沈に次ぐ撃沈。
やっとの事で最終面接へ辿り着いた会社もありましたが、緊張し過ぎてズラッと並んだ役員たちに志望動機を聞かれた際に志望動機を忘れてしまいましたと答えてしまう有り様でした。
本採用解禁後は毎日お祈りをされる一方、同期は次々に内定を獲得していき、秋頃には体力的にもメンタル的にも疲れ果ててしまい、初年度は体調を崩して途中で就活を辞めてしまいました。
幸いにも、家族は日々企業訪問に精を出していた私を評価しており、就職留年を許してくれました。
今思えば後輩に混じって次年度へ備えてインターンに参加すべきでした。
2年目の採用は1年目の反省を活かして応募企業を減らす事を覚えました。
一度見てみたいと思っていた企業は1年 目で大体行ってしまったというのもあると思います。
後は1年目で決めきるつもりだったので、2年目以降は1年目に受けた以上の企業に入るのは難しいだろうと漠然と感じておりました。
燃え尽きた1年目の反動なのか、以降はどこか燻った様な気持ちを抱えたまま就職活動を続けました。

思った通り、2年目以降は厳しい就活になりました。
具体的に言うと書類が通らなくなり、面接で留年理由を突っ込まれる事が増えました。
とは言え1年目の反省を活かした結果、内定を得る事が出来ました。
応募する業界を広げたり、志望企業を絞って対策や研究に時間を割いたり、友人達との情報交換や交流を活発に行いモチベーション維持して頑張っていた気がします。
ただ、内定を得たその企業は外資の現地法人で規模も小さく待遇も良くなかったので卒業しても働き続けるのは無理そうな気がしていました。
内定時期も大分遅かったのでそこからまた内定を得るのも難しく、何よりもう就活をしたくない気持ちがありました。
結局迷っている内に時間が過ぎてしまい、目ぼしい企業の採用期間も終わってしまったのでまたしても就職留年をする事にしました。
流石に2回目は両親からも怒られてしまいましたが、最終的に今回も許して貰えました。
3年目になると1年目2年目の様な我が儘を言っていられるような立場でもなく、兎に角内定を得る事を目標になりました。
面白い事に3年目でも企業から応募を催促する電話が掛かってきたりして、中には待遇の良さそうな企業もありました。
後輩や大学院の同期に混じってこの年は本採用解禁時に内定を獲得出来ました。
しかも内定を貰ったのは当初の目標のメーカーでした。
私のどこが刺さったのか未だによく分かりませんでしたが、その企業の面接はトントン拍子で進み今までの苦労は何だったのかと思うほど順調に内定を獲得しました。

内定獲得後も就活を少し続けたりしましたが、そこ以上の待遇を求めるのは難しく結局最初に内定を貰った会社に就職を決めました。
実は単位取得がかなりギリギリだったので下手したら放校処分になるのではないかとドキドキしていました。
今でも時々卒業出来なかった夢を見たりします。
そうして何とか入った会社は良くも悪くも昭和の面影を強く残した会社でした。
一族経営のオーナー企業で、社員の出世は限界がありましたが社長は経営に気を砕き待遇改善や設備投資には熱心でした。
しっかりとした自社工場や労働団体も持っており、業界ではニッチながら売上の地盤も固くメーカーながら商品の利益率も半端なかったです。
私はその会社に営業職として入社しました。
営業職は良くも悪くも社内外で濃い付き合いが求められました。
3年の就職活動で多少は鍛えられたとは言え、コミュ障の私は浮いてしまい結局孤立してしまい辞めてしまいました。
ただ、当時を振り返ると私の不手際も多数ある中で周囲は溶け込めるよう頑張ってくれていたと思います。
辞めた理由は複数あります。
単純に営業職自体が毎週社用車で遠方の取引先を回るので結構適性が出ました。
でも社用車はスズキのアルトではなく、トヨタのアクアだったのでここはちゃんとお金掛けてくれていたと思います。
出張費用もちゃんと出ていましたし、出張自体も一人でマイペースに回ることが出来たので適正さえあれば仕事としては楽な部類だったと思います。
後、これはオーナー企業の悪いところが出たのですが、役員が企業活動に何もシナジーを感じないとある音学団体の公演に会社を巻き込んでおり、手伝いに駆り出されるのが不満でした。
実はその会社が慶応卒で取ったのは私が初めてらしく、かなり周囲から悪い意味で注目されていたらしく、その事を知るといよいよ転職してしまいました。
良い印象を残せず辞めてしまったので以降は慶応卒を採用しないのではないかと思っています。

今は転職してコンビニ向けの卸で働いていますが、バックオフィスでの仕事になりながら働きたくないので結局働くのが向いてないと思っています。
社会人となり今こうして過去を振り返る中で未来をより良くする選択肢は幾らでもあったと思います。
人生は選択肢の連続と言われますが、選択を嫌って逃げ続けた結果苦しい今があります。
しかし社会は意外と懐が広いようで、こんなダメ人間でも何とか働き続けております。
兎に角最初の準備が肝心です。最悪ブラック企業でも若い内なら何とかなります。
ここまで読んで頂きありがとうございました。