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二浪一留体験記
あらすじ


彼はただ、まっすぐに
夢を見た。
だがその夢は、
二度の浪人と一度の留年という、
静かなる敗北の上に築かれていた。
それは夢の始まりではなく、
悪夢の序章だった。
文学に興味などなかった。
フランス語にも情熱を注げなかった。
サークルも、
学問も、すべてが空虚に思えた。

彼は、理想という名の
幻影に酔い、現実という名の泥に沈んでいった。文学に興味もなく、
語学にも心が動かぬ
まま、彼は理想と現実の狭間でゆっくりと沈んでいく。
これは、若さの傲慢と、
現実の重さに打ちのめされた一人の
青年の、静かな告白である。

My Experience: Two Gap Years and One Year Repeated

 

He simply dreamed—earnestly, unwaveringly. But that dream was built upon quiet defeats: two gap years and one repeated year. It was not the beginning of a dream, but the prologue to a nightmare. He had no interest in literature. No passion for French. Clubs, studies—everything felt hollow. 

He was intoxicated by the illusion called “ideal,” and slowly sank into the mud called “reality.” With no love for literature, no spark for language, he drifted gently between the shores of hope and despair. This is a quiet confession of a young man, crushed by the arrogance of youth and the weight of reality.

    ENG TRANSLATION HERE

    Citrus Fruits

    二浪一留体験記

    大前提として、語学に興味を持てない

    (若しくは嫌い)な人に文学部への進学は

    おすすめしない。

    私が慶應義塾大学を受験しようと決意したのは、

    今から4年前の高校3年生の夏頃である。

    当時私は授業をサボりがちで、

    一限や二限に遅刻して学校に行っていた。

    今思えば、この頃から留年する素質は

    あったのかもしれない。

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    その頃はYouTubeにとてもハマっていて、中でもえびすじゃっぷという

    YouTuberに心酔していた。彼らは見た目が良いのはもちろんながら

    トークも面白く、節々で育ちの良さが垣間見えた。

    そんな彼らが慶應や早稲田出身だと知った時は、オスとして完全に敗北したと思ったのと同時に、

    私も彼らのような人生を送ってみたいと心から思ったのだ。しかし先程も触れたように、

    私は日頃からサボり癖がついていたため、なかなか受験勉強に身が入らず、

    結局二浪の末に慶應義塾大学の文学部に入学をすることになったのである。

    IMG_20230827_134017_edited.jpg

    これが悪夢の始まりだ。入学して初めの頃は学問、

    サークル、バイト等あらゆるものに関心を持っていたが、時が経過するにつれて理想と現実のギャップに押しつぶされていった。

    学問に関しては、入学してから気が付いたのだが、どうやら私は文学には一切興味がないらしい。

    また自分が第二外国語として選択したフランス語ですら熱量を注げなかった。

    入学前から入学当初(5月くらいまで)にかけては、フランス語は話者も多いし、

    学べばきっと将来の自分の選択肢が広がるだろうと考え、期待を胸に膨らませていたのだが、

    いざ授業が進むにつれて、その思いは薄れていき、春学期が終わる頃にはほとんど遅刻をして

    出席するようになっていた。

    IMG_20230827_134852.jpg

    サークルに関しても学問と同様に、だんだん行かなくなっていった。

    当時のことを振り返ってみれば、二浪してまで入学した大学に

    幻想を抱きすぎていたが、その幻想は空虚なものであることを思い知り、

    全てが嫌になり燃え尽きてしまったのではないかと思う。

    そこからはもはや絶望へ一直線である。秋学期に関しても授業には殆ど遅刻をしていた。

    当時のクラスメイトからは、「遅刻のしすぎで留年するぞ。流石にやばいんじゃないか」

    というLINEが来ていたが、私の中には留年しないだろうという謎の自信があったため、

    聞く耳を持たなかったのだ。

    また挙句の果てには

    「テストはそこまで悪くないから教授のお情けで仮進級くらいにはなるのではないか」

    とすら思っていた。

    そして成績発表当日、私はひょっとしたら留年しているのではないかという恐怖心から、

    なかなか成績をみれないでいた。インスタグラムのストーリーには、

    同期達が『どこどこ専攻に決まったー(文学部は、1年の成績発表と同時に専攻が決まるシステムなのである。)!』とか、『ギリギリ進級できてた!』

    といった類のものが大量に載せられていて、それがまた私を不安にさせた。

     

    成績発表から数時間が経過して、ようやく覚悟を決めた私は、留年の有無を確認した。

    そこには原級と書いてあり、留年したのだという現実が一気に押し寄せてきたのだ。

    IMG_20230513_093030_edited.jpg

    学費を払ってくれている親や、進級が決まった同期達にどうやって

    報告すればいいのかと、ずっと悩んでいた。そして約1ヶ月が経過して、

    4月の上旬についに両親に留年を打ち明けた。

    二浪が確定した時ですらあまり動揺していなかった母親が、

    留年を伝えたら泣き崩れたのだ。

    この時改めて私がした事の重大さを思い知らされた。

    今は両親との関係は良好であるが、今でもたまにあの時の母の表情を思い出し、

    辛くなる時がある。

    もう二度とこのような過ちは犯さないことを心に誓った。

    全塾留年生扶翼会

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