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お金

あらすじ:『休職記 - 墜落編 -』

彼は「できる男」だった。いや、少なくともそう振る舞っていた。
職場では“若きエース”、上司には“期待の星”、そして自分には“未来の部長”。
彼の辞書に「限界」という言葉はなかった。

あったのは「挑戦」と「昇進」だけ。

春、風が優しく吹く頃、彼は電話をかけた。
「はい、○○診療所です。こちらは精神科、心療内科ですが…」
その声は優しかったが、彼のプライドには鋭かった。

彼の物語は、戦場のような職場で始まる。
三つのプロジェクトを同時に指揮し、知らぬシステムに挑み、
営業の幻影と戦い、評価の壁にぶつかる。
彼は言う、「俺がやらねば誰がやる」と。
だが、壁を蹴り、PCを壊し、涙を流したのは、誰だったか。

休職は敗北ではなかった。彼にとっては“戦略的撤退”。

「俺はまだやれる」と彼は思う。いや、確信している。

だが、読者は知っている。
この物語の結末が、彼の思い通りになるとは限らないことを。

モノポリーボード

Summary: "Leave of Absence – The Descent"

He was a “capable man.” Or at least, he acted like one.
At work, he was the rising star. To his boss, the golden boy. To himself, the future executive.
In his vocabulary, there was no “limit”—only “challenge” and “promotion.”

Then came spring, with its gentle breeze and one unexpected phone call.


“Yes, this is ○○ Clinic. You’ve reached the psychiatry and psychosomatic department—just confirming.”
The voice was kind. Too kind, perhaps, for a man who had built his career on toughness.

His story begins on a battlefield disguised as an office.
Three projects, one unfamiliar system, and a sales team that communicated in riddles.
He fought valiantly, juggling tasks like a wartime general, convinced that “if not me, then who?”
But when the walls were kicked, the PC shattered, and tears flowed to the rhythm of his favorite song—
the answer was clear: it was him.

His leave of absence wasn’t surrender. It was a “strategic retreat.”

“I’ve still got it,” he thought. No—he knew.

But the reader knows better.
And this one? It’s no exception.

ENG TRANSLATION 

休職記-墜落編-
はじめに:

「うまく行かなくなりうるものは何でも、
うまく行かなくなる-しかも最悪のタイミングで」(Edward Aloysius Murphy Jr.)


「はい、○○診療所です、こちらは精神科、心療内科ですがお間違いないでしょうか?」
電話口で受付の女性は事務的に、ただ優しい口調で訪ねてきた。

限界だった、精神は疲弊し、衝動的に物を投げたり蹴とばしたりしていたと思えば、
急に泣き出す、普通じゃない精神状態が3か月続いた時、
気づけば最寄りの精神科に電話をしていた、あれは春風が吹き始めた4月だった。

これは私の休職の記録である、
もちろん自分がまさか精神を壊して休職することになるとは微塵も思っていなかったのだが、

友人から当時の話が聞きたいという要請もあり、
自身の振り返りのためにも特定されない程度にはなるがここに記録を残すこととする。

経緯:
休職の経緯は、単純に燃え尽きたのだと思う。


大学を1年遅れで卒業し、何とか大手IT企業(手前味噌で悪いが、年収もかなり良い)に

滑り込むことが出来た私は社会人になって6回目の春を迎えていた。
就職した当初は、周りも祝福してくれた、自分もそのような会社で働くことを誇りに思っていたし、

出世してやろうと、モチベーションをもって日々の仕事にあたっていた。
上司も私のやる気を買ってくれて、自分の年次としてはチャレンジングな仕事を割り当ててくれたし、

自分も期待に応えようと、多少無理してでも頑張ってきていた。
結論から言うとそれがよくなかった、「仕事の報酬はより大きな仕事※」とはよく言ったもので、
自分が一つ大きな山を越えても、休息はなく、目の前により大きな山を用意されるだけだった。

少し前に大きな案件(初めて自分がマネージャーを担当した!)を完遂し、少々疲弊していたのだが、
その後片付けもほどほどに次の案件にアサインされることになったのだが、それがまずかった。

 

まずかった要因はいくつかある。

1.今まで担当したことのなかったシステムのプロジェクトマネージャーをすることになったこと。
端的に言うと地の利がないということである、WW2におけるドイツの東部戦線のようなものであった。
いままで触ったことのあるシステムであれば、仕様や特性を理解しているので、
プロジェクト管理も比較的容易なのだが、何分新しいシステム、というのはそういった鼻が利かない。

2.2つのプロジェクト(厳密には3)のプロジェクトマネージャーに

並行してアサインされることになったこと。
これがかなりきつい、まるで複数の戦線で戦うことを余儀なくされた、第二次世界大戦におけるドイツである。
複数のプロジェクトの管理というのは、その管理に対する管理コスト(オーバーヘッドコストという。)がかかるため、
通常よりも生産性が落ちてしまし(またもやミスタイプだ)長時間労働が常態化していた。私個人としてもマルチタスクは苦手であり、一方のことを考えている最中にもう片方に脳をスイッチングする作業はそれだけでエネルギーを使い、

精神的な負担が大きかった。
ただ悲しい哉、今は日本全国人手不足であり、人が足りてない。幸か不幸か年次のわりに大きなプロジェクトを完遂した私は
実力を買われ(たと信じたい)、複数プロジェクトにアサインされてしまった。

ここまで私の稼働はすでに臨海突破寸前だった。ただ負けん気と先述した出世欲で何とか耐えていたのである。


そんな私に二つの出来事があり、心が折れてしまった。

1.プロジェクトが筋悪なものであった。
簡単に説明すると、うちの営業の話と顧客の話が全く違うという事態が発生した(よくある話である)。
こちらは営業から伝達される要件定義をもとにプロジェクトマネジメントの計画を立てていたので、
計画の大幅な修正を余儀なくされた。
さらに追い打ちをかけるように、営業とは連絡がつかず

(チャットも返信せず、架電にも応じない)、対抗ベンダーの動きもよくないという状況で
当然プロジェクトは始動当初から遅延していった。
私の実力が不足していたこともあるが、顧客と上司と、

開発会社の三者から板挟みにされた私は
みるみるうちに疲弊してしまった。上司にもヘルプを要請していたが、なかなか抜本的に手が入ることはなく、ますます疲弊する原因となった。

2.年功序列な人事評価
最初に断っておくと、別に私は年功序列が嫌いではない、

何事も例外はつきものだが長く働いた人間のほうが
優秀である確率は高いし自分が年功序列の外でやっていけるほど優秀であるとも思ってもいなかった。
うちの会社は実力主義を取り入れていくとは言っているものの、基本的には年功序列であり、よほどのことがなければ飛び級などはない会社であった。ただ、精神的に疲弊していた私は4月に部長から面談で月並みな評価を告げられた時、心が折れてしまったのである。

 

自分がなぜこんなに苦しんでいるのか、すべてがどうでもよくなってしまった。

上記の通り、精神的にも限界に達した私は冒頭で述べたような
衝動的に会社の壁を蹴ったり、PCを破壊したり、好きな曲を聴くと泣き出してしまうような精神状態に
陥り、めでたく適応障害として休職する運びとなった。

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休職:回復期


休職の手続きは驚くほどあっけなかった。
予約を済ませて病院に行くと、即日で診断書が発行された。
上司に適応障害と診断された旨を伝えると翌日には自身の業務引継ぎが完了し、
回復するまで休職となった。


休職直後はひたすら寝ていた、休職直後3日ほどは40度近い熱が出てダウンしていた。
休職してから1か月は寝て起きて、たまに電車で海を見に行く、みたいな生活をしていた。
たまりにたまった有給休暇もあり、休職からしばらくは給料が支給された。
適応障害はストレスの原因から離れることで、回復していくらしいが、その通りで、
休職して2か月たつ頃にはだいぶ回復していた。

回復後はやることもなく、暇になってしまった
こんなことを書くとたたかれてしまうかもしれないが、
回復したから会社にすぐに戻る気にはとてもじゃないがなれなかったし、
会社としても回復後すぐに復帰ではなく、リワークと呼ばれるリハビリを終えてから
復帰してほしいということで、すぐに職場に戻してくれなかった。

暇な時間を有効活用するために様々なことに挑戦したのでここに記しておく。

転職活動


今回の休職で今の会社への愛想が尽きかけていた私(休職したことで昇進も遅くなるだろうし)
休職中であることを隠して転職活動をすることにした。
転職活動の詳細は省くが、結論として
1100万円のオファーをもらうことに成功し、本気で会社を辞めようか迷った。ただ、万が一休職中であることが転職先にばれた際のリスクなどを鑑み、現職に残ることにした。


しかし得たものは大きかった、転職活動の流れや対策の仕方を身に着けることができたし、何より、自分の市場価値を実際に目にすることができたので、今の会社に固執しなくても
よいと知れたことは大きな収穫である。おそらく復帰後に転職活動は継続して行うことになると考えている。転職活動以外にも自分がよく見ていたYoutuberのオフ会に参加したり、
(転職活動自体、そのYoutuberにスパチャしたことがきっかけだったりする、人生何が起こるかわからない)、

 

オフ会で知り合った人間に「※金持ち父さん貧乏父さん」を進められたり等、多くの経験をすることができた。

※ロバート・キヨサキという相場師のような人物が書いた自己啓発本。マルチ商法や情報商材商法を行う人がよく愛読書に挙げる本、といえばどんな本か大体わかると思われる。

​これが本棚にある人は、大いにバカにしてよい。

今、休職してよかったか振り返ってみると、結果的にはよかったと考えている。
休職することで、一度立ち止まって自分のキャリアについて考え直す機会を得ることができた。
もし今も馬車馬のように働いていたら、自分の今後をこんなに真剣に考えることはなかったと思う。
もし仮に休職しなかった場合、遅かれ早かれ病状を深刻化させて鬱病になっていたと思う。

休職の後悔:
一つは休職したことで自身のキャリアに傷がついてしまったこと。
実際どのように扱われるかはその時を迎えてみないとわからないが、
最短で昇進していくことはなくなったと考えている。
正直この部分は自身として消化しきれていない。


やるからには出世したいと考えていたし、モチベーションの支えにしていた。
モチベーションの支えを失った今、何のために今後働いていけばいいのか、心の整理はまだついていないでいる。

後は小さな悩みであるが、海外出張に行きそびれたことは割と後悔している。
コロナ全盛であったこともあり、私は今の会社で海外はおろか、国内の出張も経験がない。
そんな中で海外出張が間近に控えていた中での休職であったので、割と悔しい。
自身にこんな雑なアサインをした上司を恨むほかない。

Modern Architecture

休職の収穫
一つは転職活動をしたことである。
実際に対策と面接、オファーをもらうことで自分の市場価値に自身を持つことができたし、最悪今の会社にしがみつかなくてもやっていくことができるという自身
(脚注:自信のミスタイプである。こんな人物でも年収1000万を貰える。留年生は自信を持つように!)

を身に着けることができた。
最悪、休職が響いて昇進が遅れることに不満を持つのであれば、今の会社を飛び出すという選択も悪くないと考えている自分がいる。

 

また、休職することを話す友人がいたことはよかったと後から振り返って思う。
私は休職していることを両親には伝えていないし、

1人の友人にしか伝えていない。
 

不要な心配をかけたくないという思いと、私のプライドが許さなかったのだと思う。ただ、くだらない話をするだけでも精神的にだいぶ救われたと思う。


休職を検討している諸兄に関しては、あまりつまらない意地を張らず、周囲に打ち明けることを推奨する。

まとめると、結果論にはなってしまうが、休職することで自身を窮地から救うことができただけでなく、視野を広げることができた。
 

最後に:

もし読者に、労働で精神的に追い詰められている方がいるのであれば、

休職というのも一つの選択肢であると伝えたい。我々は普段見失いがちだが、優先度で仕事が自身の生命や健康よりも上に来ることはない。健康であることが仕事よりも優先されるべきである。もしオーバーペースで走っているのであれば、故障する前に一度立ち止まってみてほしい。立ち止まることで周りの景色がきれいであることに気づけたり、道を変えてみようと思ったりするかもしれないのだから。

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