全塾留年生扶翼会

五留記
――ある青春の断章――
この書は、精神の戦場を彷徨い、幾度も崩壊と再起を繰り返した一人の青年の記録である。彼は、知性の高みに名を刻むも、同時にその鋭利な意識ゆえに自己の肉体と精神の統御を失い、社会の周縁へと滑落していく。
薬物、アルコール、賭博、そして孤独。彼の歩みは、都市の地下構造のように複雑で、しばしば暗く、しかしその都度、不可視の手によって引き戻される。恩師の一言、友の声、あるいは焼け落ちた家の映像――それらはすべて、彼にとって「現実」の輪郭を与える閃光であった。
彼の旅路は、単なる学生生活の逸脱ではない。それは、近代的主体の解体と再構築の過程であり、自己という戦場におけるゲリラ戦である。彼は五度の留年を経て、ようやく「出発点」に立つ。だがそれは敗北ではない。むしろ、時間と存在を再編成するための意志の勝利である。
春霞の中に見た風景――それは、彼にとって「未来」ではなく、「永遠」への予感であった。
“Five Years of struggle”
This text is the chronicle of a young man who traverses the battlefield of the spirit, repeatedly collapsing and rising again through cycles of destruction and renewal. Though his intellect once earned him distinction, it was this very sharpness of mind that led to the disintegration of his body and will, casting him into the margins of society.
He descends into a labyrinth of substances, solitude, and disillusionment—alcohol, medication, gambling—wandering through the subterranean corridors of the modern city and the psyche alike. Yet each time he nears the abyss, an unseen force intervenes: a teacher’s remark, a friend’s voice, the image of his family home engulfed in flames. These moments strike like lightning, illuminating the contours of reality.
His journey is not merely a deviation from academic life; it is the dismantling and reconstruction of the modern self. It is guerrilla warfare waged within the self, a campaign fought not for victory but for clarity. After five years of academic delay, he finally arrives at what he calls a “starting point.” But this is no defeat. It is a triumph of will—a reorganization of time and being.
The spring haze he once glimpsed through a train window was not a vision of the future, but a premonition of the eternal.

ENG TRANSLATION
UNDER CONST

第一章
模試の向こうに
高校のころ、ある模試で名前が冊子掲載になった。
何も疑わず、自分はよい大学に行くものだと思っていた。
だがその頃から、身体が思うように動かなくなっていった。
朝、布団から出られない。外に出ることが、どこか怖い。
結果、精神科送りになった。精神科で受けた知能検査の結果はIQ175(σ=24)。
医者は驚き、私はそれを聞いて、「やっぱり自分は特別だ、どこへでも行ける」と、むしろ確信してしまった。
けれど現実は、薬が合わず、感情が暴れ出す。
双極性障害と診断され、安定剤で計算も出来なくなり、
理系から文転した後は、学校にも行かず、
ただひたすらパワプロのペナントを何百年も回して心を落ち着ける毎日。
成績も右肩下がりだったが、なんとか早慶には滑り込めた。
この頃、小説ばかり読んでいた。
心の内側に渦巻くものを言語化してくれる文学に救われる思いがして、
文学部へ。国文科を志望したのは、たぶんそういう理由だったと思う。
いや、元々理系だったので、ぶっちゃけあまり法律や政治興味が湧かなかっただけかもしれない。
ここで経済学部に入学手続をしなかったこと、
いや、そもそも慶應ではなく早稲田に入学手続をしておかなかったことは、
後から思えば致命的な失敗だった。
第二章 酒と噂とフランス語
1回生。フランス語クラスに入ったが、AOや推薦やエスカレーターで上がって来た周囲の新入生の知的レベルに絶句。割り算も怪しい人たちが、なぜか堂々と大学生をしていた。ここは自分の居場所ではないと思い、ストレスから麦茶のボトルにウイスキーを入れて登校するようになる。講義は大教室ばかり。誰にも気づかれないので、常に酩酊していた。
次第に講義の代わりに、日吉駅前のパチンコ屋に出席するようになる。週5万の仕送りは、すべてパチンコに消えた。薬に溺れて次第に活動が難しくなり、アル中の震えも出て、噂が立つ。「アイツは病気だ」。実際そうだった。まぎれもなく精神病だった。精神薬依存も進行し、朝起きることさえ困難になった。学校にも行けなくなる。
そんな中、仏文の〈削除〉君が、心配して電話をくれた。「最近、来ないけど大丈夫?」彼女のやさしい声は、今でもはっきり覚えている。秋学期、まったく出席していなかったのに、彼女だけはフランス語に「C」をつけてくれた。他の科目は「D」ばかりだったのに。
春学期はオールAだったのに、秋学期は地の底。その落差を支えてくれたのは、人の優しさだった。私は、いつか彼女のような人間になりたいと思った。
第三章
二度目の東大と
金日成
どうにか立て直すため再受験を決意するが、まともな思考はできなかった。常時飲酒、まとまらない頭。一応センター試験は85%を守れたが、二次試験ではボロボロ。ちなみに、1日目は人混みの緊張で酩酊して臨み、2日目は慣れて素面だったのだが、なぜか酔っていた日の方が点が良かった。「ずっと飲んでおけば合格だった」と、本気で思った。
試験会場には、金日成のコスプレで受験している男がいた。度肝を抜かれた。こんな奴が東大を受けるのか、いや、そもそも人間って何だ?と、哲学的な問いが浮かんでしまう。
落ちたその足で日吉へ。目黒線の地下区間を抜けたとき、車窓の向こうに春霞が広がっていた。気持ちが晴れた。もう、大丈夫かもしれない。そう思った。

第四章 〈削除〉の門を叩く
留年が決まり、面談の席。担当は〈削除〉君。「なんで来ないの?」と聞かれ、
「何をしても面白くないから」と答えたら、「僕の専門分野の〈削除〉は面白いよ!」
と返ってきた。
その一言で国文から〈削除〉へ転身。言語もドイツ語へ変更した。あの時の直感は正しかった。
2回生のドイツ語クラスは、みんな現役の一般受験組。話が通じる。
真面目だし、思考の速度も速い。初めて「学問の場」に立てた気がした。
常時飲酒と引きこもりで激太りしていたため、軟式野球サークルに入った。
脂肪肝にもなっていたが、ここで少しずつ健康を取り戻す。
この年は、成績もよかった。特に数学(解析学)でずっと「A」を取れたことは、
自信につながった。薬物中毒から頭が、少しだけ戻ってきた。
ようやく、ここから人生が立て直せる気がしていた。
けれど、運命は静かに蠢いていた。あの、金日成コスプレの男。まさか大学で再会するとは――。

第六章 教員を志す七回生
火事は、私から何かを奪ったけれど、同時に「甘え」を燃やし尽くしてくれた。
精神状態が急にシャキッと晴れた。奇跡のような回復だった。どうにか復学し、
現実を見据えるようになる。
もう、普通の就職は難しい。そう思い、教員免許の取得を考える。だが、教職課程は厳しい。
肉体労働のバイトで全身は痛み、いつの間にかアヘン系の鎮痛剤に頼るようになっていた。
再び依存、そして不登校。
そんなとき、教育〈削除〉の担当の〈削除〉君が私に会いに来てくれた。彼女は優しい声で、
「君は李徴のような人。虎になるまで無理しないで。一緒に考えよう」と言ってくれた。
〈削除〉君のときと同じように、私は泣いた。私はまた思った――こういう人間になりたい。
なんとか〈削除〉ゼミの授業だけは取って、4年への進級が決まった。
けれど、このまま順当に8回生で卒業できるかといえば、まったく自信はなかった。

第七章
論争する八回生
時代が令和に変わった年。
心機一転、就職活動をしてみたが、
すぐに暗礁に乗り上げる。
なぜかというと――アパートに〈削除〉の勧誘が
毎週来るようになり、
その人たちと真面目に禅問答を始めてしまったからである。
白熱する議論の末、午前中の授業には出られなくなり、
あっという間に単位を落とした。
必修単位を失ったことで就活を諦める。
だが、1年の余裕ができたおかげで、
教職課程の残りには集中できそうだった。
状況としては完全に「詰み」だったのに、
何かを取り戻せるような気がしていた。
第八章
骨の音を聞いた
九回生
教育実習へ――という矢先、横断歩道で車に跳ねられた。
顔面の骨がバキバキに折れた。病院の天井の白さだけが、
しばらくの世界のすべてだった。
教職のガイダンスには出られず、教育実習は延期。
免許は卒業後に取るしかない。
ベッドの上で考えた。ならば、公務員はどうか?
特別な感情はなかったが、受験し、受かる。
「可もなく不可もなく」という言葉が、
こんなにありがたいものかと思った。
卒論は、年が明けても手がつかなかった。
だが、1月4日、ふと意識がクリアになり、
そこから怒涛のように書き上げた。
提出期限の1月7日に滑り込むように間に合った。
すべてを終えたあと、私は一人で関西周遊旅行へ出た。
いくつかの街、懐かしい人々、過ぎていった時間。
それらに別れを告げるように、静かに歩いた。


終章
留年という名の
通過点
私は、五回留年した。
けれど、何もなかったわけじゃない。
道に倒れていたときに声をかけてくれた人たちがいた。
特別に単位を出してくれた先生がいた。
無条件に信じてくれた友人がいた。
留年は、社会的には「失敗」だろう。だが私にとって、
それは「時間の再編成」だった。
学問と孤独と破壊と再生を経て、
私はようやく出発点に立った気がする。
あのとき春霞の中に見た景色は、
たしかに私の中に残っている。
編集後記-創始者より
私は普段編集後記を書かないことにしている。
なぜならば、留年生たちに自由に文章を書いてほしいし、私が手を入れたりわざわざコメントをしたりすると文章が台無しになるからだ。(英訳は日本の事情が分からない読者に向けてところどころ手を入れたり補足したりしているが、それはお許しいただきたい。)
なぜ私がここにコメントを書いたか。それは彼が全塾留年生扶翼会の初期メンバーであり、ほかのメンバーが留年記を書き上げるのを尻目に、活動にも顔を出さず、「チャットGPTの助けを借りてもとにかく形にすべきだ」という私の方針をひたすらに冷笑していたからである。
彼がその重い口をようやく開いたのは、法学部留年記(リンク)を見てからだった。
「ようやく留年生が現れた」彼はそう言った。
「明るい人はすばらしい。悩んでいる人は尊い」これは彼のモットーかもしれない。
私はおそらく、彼に直接対面することはないだろう(それは彼が姿を現すのをひどく嫌がっているからである)。だが、SNSでは数十年の付き合いになる、という奇妙な関係性になるだろう。
奇妙な留年生に、奇妙な友情。
もしかしたら彼が急に思い立って顔を合わせることもあるかもしれない。
これからを楽しみにしている。