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​イントロダクション

(copilotに書かせた)

 

慶應で四留した話――
或る青年の精神の遍歴

 

この物語は、

名門・慶應義塾大学に学びながら、

四度の留年という異端の道を歩んだ

一人の青年の記録である。

彼の歩みは、

単なる学業の遅滞ではない。

それは、制度と個人、権威と自由、理性と狂気の間に

引き裂かれた魂の軌跡であり、

現代という虚無の時代における「生」の意味を問う、

静かなる叛逆の書である。

四留記

目の前に座る教授は、私を眼鏡越しにじっと睨みつけていた。

 

「しかし、それだと同じ学年に二回留年で退学になってしまうんですが・・・」

 

私の声は震えていた。教授は繰り返した。

 

「西洋史学科として、君を進級させるわけにはいきませんね」

 

●第一章 邂逅

 

私は現在24歳だが、大学三年生であり、四度の留年を経験している。

裕福な家庭に育ち、兄は順調に父と同じ職業に就いたが、私は落ちこぼれた。

慶應中等部に入学後、燃え尽きて成績が低迷し、高校で一度留年。

大学進学時には成績により文学部に進むことになった。語学でつまずき、再び留年。二度目の二年生を終えた後も、成績不振で希望外の西洋史学専攻に振り分けられた。

三年生では、後に重要な存在となる「ラッキョウ教授」と出会うことになる。

ラッキョウ教授とは、さいしょから上手くいかない雰囲気が出ていた。初回授業でコの字型に座る学生たちを前に、ラッキョウ教授はプリントを配ってこう言った。

 

「この命令書を発行した組織はどこでしょう?」

見る限り、SS(ナチ親衛隊)である。私はしばらく様子を見ていた。ラッキョウ教授はまず

お気に入りの学生たち数人に質問を投げかけるからである。

このお気に入りたち(私はラッキョウチルドレンと呼んでいる)は、

西洋史専攻で最良のラッキョウ教授のゼミに所属する。

 

 

「○○くん、わかる?」

「すみません、わかりません」

「××さんは?」

「すみません、ちょっと・・・」

「えー××さん分からないはずないでしょ?」

 

 

ラッキョウ教授はチルドレンだけでなくノン・ラッキョウチルドレンたちにも範囲を伸ばす。

この見極めが大事である。

 

 

「あの・・・」

私はおずおずと手を上げた。

「SSですよね?親衛隊の」

その後のラッキョウ教授の答えは忘れられない。

「ああはい」

一年目はこのようなことが度々あった。

チルドレンは文法知識が私に比べてはるかにあり、ドイツ語を読むのも上手だが、

背景知識や隙間知識では私に長があることもあり、例えば突撃隊と親衛隊の違いだとか、当時の情勢だとか、

革命家の名前だとか、答えられないことが度々あり(もしかしたら、わかっていても悪目立ちしないために知らないふりをしていたのかもしれない)、

私は毎回アピールのためにそれに答えるようにしていた。

 

しかしチルドレンと私が答えるときのラッキョウ教授の態度は明らかに違っており、

総じて冷淡で、さっさと次に行きたい、という態度を醸し出していた。

ある学生に「お前、教授に何かしたのか?」と聞かれるほどだった。

おそらく、内部進学で留年を繰り返す私に対し、教授は最初から期待していなかったのだろう。

授業は演習形式で、学生が訳し、教授が補足するというものだったが、

「壊れた翻訳機のようですね」「日本語が苦手な外国人が喋ってるみたい」「全然駄目ですね」

などのありがたい感想を頂戴しながらも、授業には続けて出席した。

 

しかし結果的には留年してしまった。これに関しては(冷淡な態度にやる気を失っていたとはいえ)

単純に前期後期のテストの点が悪かった結果であった。ラッキョウ教授は冷淡ではあったが、それだけだった。

2018年3月、両親に叱責されながら三度目の留年が決定。

行きつけの中華料理屋でエビチリを前にその現実を噛みしめていた。

●第二章  一さいおこれば二さいおこる

 

三度目の留年が決まり、私は意を決してラッキョウ教授の授業に再挑戦した(必修なので避けては通れなかった)

2018年、iPadを導入し、ドイツ語の家庭教師も雇うという徹底した準備を整えた。

いまどき家庭教師を頼んでいる大学生などいないだろうし、

つくづく自分がプチブルの馬鹿息子であることが身にしみたが、なりふりは構っていられなかった。

 

私は絶望的にドイツ語ができないので、まず文章の単語をすべて辞書引きし、単語の羅列を作って、

それをうんうん唸りながら眺めてなんとか文章らしい形に組みなおし、

家庭教師の授業とチェックを受け、発音や背景知識も予習し、授業中の発言で良い印象を与えようと努力した。

 

教授の態度は依然として冷たく、ミスをすればうれしそうに「勉強が足りませんね」と言われたが、

前期のテストでは合格点の60点を獲得。出席点も高く、

最終授業後には教授から「この点なら大丈夫ですね」と声をかけられ、私はようやく報われた気持ちになった。

しかし、この安心感が後の波乱の前触れであることを、当時の私はまだ知らなかった。

 

●第三章 君子豹変、小人革面

 

私が精神的に不調をきたしたのは、2018年、二度目の三年生の後期からだった。

残る単位はラッキョウ教授の授業のみで、これを取れば卒業論文を残すだけ。

親はこの1単位のために120万円の学費を払い、私は空いた時間でアルバイトや親の機嫌取りをしていた。

だが教授の態度はさらに冷たくなり、上手く翻訳ができれば

「グーグル翻訳がそう言ったのですか?」「君はパソコンを使うのが上手ですね」、

そして私が間違えることを今か今かと待ち受けていた。

私がなんとか一文を訳すと、その文の中の細かい場所を抜き出して、「ここはどういう意味か」と聞いてくる。

私は訳した最終段階のものしか持っていなかったり、思いもよらない質問だったりするのでまごつく。

するとラッキョウ教授はいつものように顔を揺らし、「全然駄目ですねぇ」とうれしそうにする。

私は精神薬と胃薬を服用しながら出席し、教授の顔を見るたびに体調が悪化した。

教室では寒気に震え、上着を脱げずにいると「暑そうですねぇ」と言われた。

教授は私がツールを使って翻訳していると疑っていたようで、

ゼミでも「言っても分からない子がいる」と発言していたという。

 

ラッキョウ教授が一番嫌っているのは、どうやら私で間違いなかったようだが、こんなこともあった。

ラッキョウチルドレンでないがドイツ語が一番か二番目にできる学生がいた。

ある日ラッキョウ教授が突如「授業を録音しないでください!」と怒り出した。

他にもスマートフォンを出している学生もいたが、なぜかその学生だけが毎回言い募られていた。

口調はだんだん変化していき「授業を録音しないで!」「授業の録音はですね、学則で禁止されているんですよ!」、

その学生は最終的にスマホを出さなくなった。

他の学生もスマホを出していたのに、その学生だけが標的にされたのは不可解だった。

 

 

最終期末試験前、クリスマスくらいの時期になると不眠、胃痛、欝の東方の三賢人が私に襲い掛かっていた。

 

ドイツ語の苦手な私は文章と和訳を丸覚えしてから臨むしかない。不眠と抗鬱剤の効果でへろへろになった頭にたたきこみ、最悪の精神状態で試験に臨んだ。そして結果は9点であった。

 

ラッキョウ教授は「今回はみんな点が低かったから10点くらい加点します」というがこれでは加点しても焼け石に水である。

 

 

ここで、9点と聞くと「ならだめじゃん、仕方ない」となるので、補足しておく。​*

挙手

①前期に60点を取るような学生が

 後期でいきなり9点になるだろうか?

②他大でドイツ語の教鞭を執る講師に見せた

ところ「40点が妥当であろう」とのことだった。

③ラッキョウ教授は「10点加点する」と明言した。

④ラッキョウ教授の「試験」は「授業内試験」

 だった。「期末試験」であれば

 採点の過程を明らかにしなければならないのだが、

「授業内試験」であればそれを開示する必要はなく、

 採点も教授個人が行う

つまり開示したくない理由がある)

⑤日本語の誤字があるたびに

 1点マイナスされていた。

 しかし他の学生は別にそこまで細かく

 採点されていなかったことが判明した。

⑥仮にテスト評価と授業点が1:1で評価され 

 60点で合格だったとする。

 9点で10点加点の場合、19点になる。

 わたしの授業点が仮に100点だった場合でも、

 合計して÷2すると59.5点で

 合格点の60点に届かない。

 つまり、「絶対に通さないために」

  計算して計算して9点にしたのではないか。

​もはや陰謀論に片足を突っ込んでいる気もするが

この学生は生きていてはいけない。ここで処分する

という強い意図を感じて、わたしは震え上がったのだった。

 

 

そして、話は2019年4月、冒頭に戻る。

「しかし、それだと同じ学年に二回留年で退学になってしまうんですが・・・」

 

私の声は震えていた。教授は繰り返した。

 

「西洋史学科として、君を進級させるわけにはいきませんね」

「君は熱意もなく、パソコンが得意なんだから活用すれば良いのに、

 ずっとツールを使用していましたね」

「西洋史の基礎的な知識も知識もありませんね。だから上げられません」

●第五章 Damned Damned Damned

三度目の留年で退学になると思い込んだ私は、大学中退者向けのセミナーや転職エージェントに駆け込んだ。

セミナーでは「中退したとはいえ大学卒業程度の知識を持っているあなた方を欲しがる会社は多いですよ」

言われ明るい気分になったが、その後研修ビデオを見せられて目の前が真っ暗になった。

 

 朝礼甲子園のような映像といえば分かりやすいだろうか、大声で元気よく挨拶をするのが基本(これはいい)、

そして研修では街中の会社員やオフィスに押しかけて名刺を交換させる、というものだった。

よく田町駅の前や橋の真ん中にいるあれである。

すなわち、我々は「大学中退」ですらなく、「高卒後数年遊んでいた人たち」でしかないのだった。

そして他の中退者たちは心身の不調や家庭の事情など深刻な理由を抱えており、私は肩身が狭かった。

 

後に学生部で確認すると、同じ学年で二度留年しても退学にはならず、

進級の猶予がある制度に変わっていたと知る。

私は最終的に大学に残ることができたが、あの場にいた人々の行く末を思うと、今でも暗い気持ちになる。

彼らが幸せに生きていることを願ってやまない。

 

学生部に確認した結果、退学の心配は取り越し苦労であり、無事に大学に残れることが分かった。

親には再び頭を下げ、なんとか許しを得た。

その後、ラッキョウ教授の対応に納得がいかず、メールで質問を送った。

やり取りの記録を以下に示すが、個人が特定されないよう配慮している。

ラッキョウ教授のおことばに登場する「君の頭の中にある世界観のようなことはありません」

と言われてしまうので最後に付録としてメールソフトのスクリーンショットを載せておきたいと思う。

 

 

 

23にもなって母親に頼るのは情けないが、慶應の性格として、学生には厳しいのに親が出てくると途端に態度が軟化するということがある(広告研究会の先例を見るべし)

また、親もこのときは中退だと思い込んでいたのでなりふり構っていられなかったふしもある。結論から言ってしまえば命乞いで、ここに載せるのはとても恥ずかしいが、ご笑納いただけると幸いである。

ノートパソコンに向かう女性

2019/3/9、
母 から 
ラッキョウ教授への
メール

概要

・息子が再度の原級留置となり、就職活動中のため大きな痛手である。

・学業は本人の責任と理解しつつも、保証人として連絡している。

・2018年の教材は後期の難易度が大幅に上がっていたと指摘。

・試験は前期・後期ともに異なる原文で、後期は理解が困難だった。

・履修者約20人中、5人が不合格だったと聞いている。

・息子は前期60点、後期9点。後期には全体に10点加点があった。

・難易度上昇と出題形式により、できない学生が不利になる構造を問題視。

・救済措置(再試験など)が存在しないことを疑問視。

・ドイツ語が専門でない学生にも同じ水準を求めるのは過酷ではないか。

・ドイツ語の必要度に応じた選択制の導入を提案。

・他大学では再試験制度があるのに、なぜ慶應ではないのか。

・二度の原級留置が学生と家族に与える精神的負担の大きさを訴える。

・学生の多様な背景や努力を考慮してほしいと要望。

・大学教育の目的を問い直し、学生の人生を導く役割を教員に求める。

・自身も大学講師であり、教授の教育観を学びたいと締めくくる。

​全文は次に記す。(読み飛ばしても構わない)

初めまして。
○○先生の西洋史演習を2017年度、2018年度と履修しておりました××の母親です。

この度、この科目で再度原級留置という結果になり、大変落胆しております。既に就職活動も開始しており、

選考も進んでいる最中であり、痛手は大変なものです。
既に成人であり、学業は全て学生本人の責任であると十分に理解しておりますが、

そのうえで、保証人としてこのようなメールをいたしましたことをお許しください。
私はドイツ語は全くの門外漢であり、細かいことはわかりません。

あくまで以下記することは息子から聞いた内容ですので認識違いがありましたら訂正くださいませ。


2018年の教材は、前期と後期では後期のほうがレベルがだいぶ上がりました。

前期はドイツ語を外国語として学ぶ学生向けのレベルだったのに対し、

後期はドイツ人学生の高等教育レベルでした。

試験の出題方式は、前期・後期試験とも原文を変えた文章でした。前期はまだ意味がとれたものの、

後期は歯が立たなくなってしまいました。履修者は約20人で、うち5人が合格点に達していない模様です。

本人の成績は前期が60点、後期が9点でした。後期はクラス全体に10点加算の措置がとられました。


前期でも合格ギリギリの成績であるのに、それをレベルを上げて、更に文章も変えて出題するのは、

落第点を取るのは目に見えているのではないでしょうか。

できない学生に対して、何かscaffoldingされましたでしょうか。

ついてこられれば合格、こられない学生は点数で自動的に不合格、となっていないでしょうか。

 

クリアした学生は安堵するでしょう。しなかった学生は即原級を意味するのです。救済制度もありません。

再試もありません。ましてや、ドイツ語のご担当は○○先生お一人です。

できない学生は不安のまま一年を過ごし、後期に授業内容がレベルアップして限界になり、

結果原級というのは過酷ではないでしょうか。


20人中15人の学生はクリアするのですから、優秀な学生が多いのでしょうね。

ただ、どう頑張ってもあまりできない学生もいるのです。

そのなかには努力をしてもドイツ人学生のレベルには追いつかない、仕方ない、丸暗記だとなる学生もいます。


西洋史学科での西洋史演習の位置づけはどこにあるのでしょうか。
文献をドイツ語で読めるようになることであるとしたら、

せめて、各人のドイツ語の必要度に応じて、選択性にできないものでしょうか。

ドイツが研究対象でない学生もいます。現地学生の高等教育レベルと、

ドイツ語を外国語として学ぶ学生向けがあれば、このような不幸を防げるのではないでしょうか。


また、国立大学の医学部でさえ、必修科目では再試があると聞きます。

慶應文学部でなぜそのような救済措置がないのでしょうか。学費負担もさることながら、

学生本人、周囲の人間の精神的負担もかなりのものです。

二度続けての原級留置が本人ならずともここまで心と体の負担になるとは経験した者でないとわかりません。


どうか、今の方式では這い上がりたくても這い上がれない学生もいることに思いを馳せてください。

そのような学生は他の科目でも同様に苦しんでいるかもしれません。

学業成績が振るわなくても人の痛みが分かる、優しい学生もいるでしょう。

その後社会人になって活躍できる人もいるでしょう。
大学教育は何のためにあるのでしょうか。

その後、自立して社会の一員としての責任を果たしていく最後の仕上げではないでしょうか。


そのスタート地点にも立てない苦しみを味わう学生が、現状、少なからずいるのです。
私も妹も、従妹弟、叔父叔母、本人の兄も塾員です。

本人も中学から慶應には10年以上在籍しております。

ただ、この二年で感じたのは、原級留置に対して西洋史学科は、

そしてこの学校はとても冷淡なのだなということです。


人生は短いです。教授内容もさることながら、

学生がよりよい人生を送れるよう導いていくのが教員である自分の務めであると私は考えます。

先生は如何お考えでしょうか。


現在、私は大学講師をしておりますので、先生の学生に対する思いを是非勉強したいと思っております。

ご返信頂けましたら幸いです。

23にもなって母親に頼るのは情けないが、慶應の性格として、学生には厳しいのに親が出てくると途端に態度が軟化するということがある(広告研究会の先例を見るべし)

 

また、親もこのときは中退だと思い込んでいたのでなりふり構っていられなかったふしもある。結論から言ってしまえば命乞いで、ここに載せるのはとても恥ずかしいが、ご笑納いただけると幸いである。

2019/3/9
らっきょう教授 
から 母 への返信

××様メールをいただきました。××君の件についてお答えします。

××君の西洋史演習履修上の問題は、課題のテキストを全て

翻訳ソフトにかけて授業に参加することでした。

間違ってもよいから一つ一つの単語を辞書を引いて意味を

調べてくるように12月の最終週まで言い続けましたが、

結局単語を個別に辞書で引いてくることはありませんでした。

そのために「市民」、「法律」、「法治国家」、「西洋」と言った、

繰り返しテキストに出てくる、歴史学の学習に必要な最低限の単語が、

××君が自ら訳したいと言って授業中に訳してくれた文章のなかに

含まれていても、全くわからないということが繰り返されました。

演習参加者全員の前で、授業中に何度も何度も辞書を調べるように

こちらが繰り返したことで、一部の学生は辟易としていたようです。

テストの問題は、テキストの文章を簡易化して順番を変えました。

電子辞書も普及して簡単に単語を引くことができる時代ですので、

文章中の単語を調べようとする態度を示してくれていたら

有り難かったです。

他の学生の場合もそうですが、得点よりも学習態度の方が重要です。

すぐに読めるようにならなくとも全く問題ありません。

予習時に筋が通らない訳になっても構いません。

独学では読むことが難しい文献を、教員の助けを得て読む力が

少しずつでも伸びていることを実感してもらえたらそれで十分です。

どのように読んだらよいか、

ヨーロッパの歴史家が何を問題にしてどのような書き方をしているのか、

それがわかってもらえれば嬉しいです。

××君については西洋史専攻の他の教員にも

昨年の5月頃から何度か話をしていますので、情報は共有されています。

 

××君は最後まで鉛筆やペンを持ってくることもなく、

テキストはスキャンをして翻訳にかけているようで、

うまくスキャンができなかった時は、

読んでもらうと文頭が欠けていることもありました。

得点よりも授業の参加態度や学習への態度がはるかに重要であると

思われることに変わりはありません。

(言及された受講学生の数ですが、今回の演習の登録者は20人ではなく

18人で一人は年に二度出席しただけでした。)

 

○○

飲料マグカップとラップトップ

>間違ってもよいから一つ一つの単語を

さて、間違えると鬼の首を取ったように喜んでいたのは私の幻覚だったのだろうか?

>そのために「市民」、「法律」、「法治国家」、「西洋」と言った、繰り返しテキストに出てくる、

歴史学の学習に必要な最低限の単語が、××君が自ら訳したいと言って授業中に訳してくれた

文章のなかに含まれていても、全くわからないということが繰り返されました。

「市民」、「法律」、「法治国家」、「西洋」、これは「bürger」「Rechts」「Rechtsstaat」「abendland」

対応している。しかしどの単語も文中に一度しか出てこない。

繰り返しとは?しかも私が担当して訳したのは「西洋」と「市民」のみである。

>××君は最後まで鉛筆やペンを持ってくることもなく

Ipadの画面を見せて何でノートを取っているか何度も見せていたのだが・・・。

また「君の世界観の~」と言われてはたまらないので、最後にノートのスクリーンショットを載せておく。

ノートパソコンに向かう女性

2019 3/10
母 から
らっきょう教授
へのメール

繰り返し命乞いをしているだけなので、

メールの最後に載せた私からのメールを書いておく。

 

・迷惑をかけたことへの謝罪。

・翻訳機は翻訳機の精度も低く使い物にならなかった。

・「翻訳機がそう言っているのですね」と言われるたびに否定していたが、     理解されず否定を諦めた。

・留年後、学外のドイツ語教師に訳文の添削を依頼し、それをもとに授業に臨んでいた。

・全体の訳は準備できても、詳細な質問には対応できず、単語も覚えきれなかった。

・単語学習にはQuizletを使用していたが、記憶が追いつかなかった。

・授業中に服を着込んでいたのは、進級への恐怖と体調不良(悪寒・腹痛)のため。

・授業中は笑顔を保っていたが、内心は精神的に追い詰められていた。

・iPadは遊びや翻訳機使用ではなく、ノートを取るために使用していた(画像も添付)。

・ノートは何度も見せていたはず。

・母親のメール送信には反対していたが、誤解を解きたくて自らメールを送った。

・結果が出た後に連絡するのは意気地がないと自覚しており、申し訳なく思っている。

・自分の不勉強と実力不足が原因であり、重ねて謝罪。

​全文は次項に記載。例によって読み飛ばしても構わない。

​※私の追記

​【〇〇教授へ】

文学部三年の××です。
この度はご迷惑おかけしたことをお詫び申し上げます。
いくつか誤解されている点があるようなので訂正させてください。
まず翻訳機ですが、後期の二回目にお叱り頂いてからは使用しておりません。

また翻訳機では全く頓珍漢な訳になってしまうため、使用に耐えるものではありませんでした。


「翻訳はそう言っているのですね」とおっしゃるたびに否定していましたが、

解っていただけなかったようでしたので最後は否定を諦めていました。
昨年留年してから自分はドイツ語の学外の先生にお願いして、

自分が訳したもの(実力が無かったので単語の羅列になっていましたが)をまともな訳にしてもらい、

それを もって授業に臨んでいました。そのため、文章全体の訳は何とかなっても、

詳細な部分の質問を受けると対応ができず、結果答えられませんでした。

また単語も覚えられなかったため、聞かれても答えられませんでした。

この点はすべて自分の勉強と実力不足に責任があります。
単語に関しては教わった単語をquizletというアプリで単語帳にしていましたが、これも覚えきれませんでした。

また、服を着込んでいて授業態度が悪いと思われたかもしれませんが、

実際のところ、どうしても進級しなくてはいけない恐怖感があり、悪寒と腹痛がしていたためです。

 

毎回内心ぼろぼろの状態で、授業点を下げられないように笑顔で受講しておりました。

決してふざけてへらへらしていたわけではありません。


授業中にipadをいじっていたのは遊びやその場で翻訳機にかけるためではなく、

ノートを取っていたためです(いくつか画像を添付しました)。

また、何度もノートをお見せしたはずです。今でも先生と進級への恐怖感があります。

本当は母親にもメールを送って欲しくなかったので止めましたが、

誤解をされたままでいたくなかったのでメールを送りました。
結果が出た後にこのようなことを言うのは先生を不快にさせてしまうだけでなく意気地のないことだと思います。

申し訳ありません。先生は非常に優秀な方ですし、授業も進級単位がかかっていなければ面白かったのですが、

私はついていくことができませんでした。

これは偏に私の至らなさと不勉強にあります。重ねてお詫び申し上げます。

 

【私の名前】

このメールに対し、らっきょう教授からの返信はなし(4日間)

 

時間切れになれば私は自動的に留年となるので、無視を決め込んだようだった。

やはり親には態度が弱いのに学生には強く出るのが

慶應義塾の誇るべき伝統のようである。

 

仕様がないので私はもう一度ラッキョウ教授にメールを送ったのだった。

男を強調

2019 3/13
私 から
らっきょう教授 への
メール

概要

・先日母から送ったメールをご確認いただけたか確認のため、再送。

・誤解されている点について訂正を希望。

・翻訳機は、精度も低く実用に耐えなかった。

・昨年6月から胃腸科と心療内科に通院中で、胃出血と軽度のうつ病と診断されている。

・iPadはノート取りのために使用しており、遊びや翻訳機使用ではなかった。

・ペンとノートも持参しており、机上に出していた。

・授業態度が悪いという誤解が他の教授方に共有されている可能性があるため、訂正を希望。

・誤解を解きたくて自らメールを送ったが、結果が出た後の連絡であることを申し訳なく思っている。

​例によって全文は次項。

○○教授

先日母からお送りしたメールは見て頂けましたでしょうか。

お忙しいなか恐縮ですが、ご確認の程お願いいたします。入れ違いになっているといけないので、もう一度送らせていただきます。文学部三年の××です。
この度はご迷惑おかけしたことをお詫び申し上げます。
いくつか誤解されている点があるようなので訂正させてください。


まず翻訳機ですが、後期の授業二回目にお叱り頂いてからは

使用しておりません。

また翻訳機では全く頓珍漢な訳になってしまうため、

使用に耐えるものではありませんでした。


「翻訳はそう言っているのですね」とおっしゃるたびに

否定していましたが、解っていただけなかったようでしたので

最後は否定を諦めていました。

 

昨年留年してから自分はドイツ語の学外の先生にお願いして、

自分が訳したもの(実力が無かったので単語の羅列になっていましたが)をまともな訳にしてもらい、それを持って授業に臨んでいました。

そのため、文章全体の訳は何とかなっても、

詳細な部分の質問を受けると対応ができず、結果答えられませんでした。

 

また単語も覚え切れなかったため、聞かれても答えられませんでした。

この点はすべて自分の勉強と実力不足に責任があります。

 

「予習時に筋の通らない訳になっても良い」とのことでしたが、

実際に私が訳を発表した際「壊れた翻訳機のようだ」「全くダメですね」

などのお言葉をいただいたので、私の努力不足だと認識しておりました。

 

単語に関しては教わった単語をquizletというアプリで単語帳にしていましたが、これも覚えきれませんでした。


また、服を着込んでいるので授業態度が悪いと

思われたかもしれませんが、実際のところ、前期から後期にかけて、

先生にお会いすると留年の恐怖で悪寒と腹痛がしていたためです。

 

胃腸科と心療内科には昨年の6月からかかっています。

具体的には緊張性の腹痛と重度の胃腸炎で胃から出血している他、

軽度の鬱病です。

授業中にipadをいじっていたのは遊びやその場で翻訳機にかけるため

ではなく、ノートを取っていたためです。

ペンもノートも持ってきていなかったとおっしゃっていましたが、

実際は両方とも持ってきて机の上に出していたほか、

ipadでメモを取っていました。

私の状況を西洋史学の先生方と共有されたとのことですが、

恐らく「言うことを聞かない、態度が悪い」と

いう誤った印象で共有されていると思いますので、

誤解を解いていただけると幸いです。

文学部三年 ××

​なんと返信が返ってきた。これ以上執着されてはたまらないと思ったのだろうか?

Our Annual

2019 3/13 
ラッキョウ教授 
から 
私 への返信

××君

 

途中から翻訳機を使わなくなったということで構いません。

「翻訳機はそう言っているのですね」というのは

私の言葉ではありません。

 

服を着込んでいる学生がいれば薄着の学生に確認して

暖房の温度を調整しなければなりませんし、

真夏のような格好していて大粒の汗をかいている人がいれば

冷房をつけて温度調整しなければなりません。

 

真夏のような格好をしている学生と冬物を着ている学生がいた

季節の変わり目は大学院棟での調整が大変でした。

厚着をしている授業態度が悪いと思う教員もいないでしょう。

 

また、あの演習のなかでipad

授業中に遊びで使っていると

思っていた人はいないでしょう。

××君がへらへらしているように見受けらたこともありませんので

ご安心ください。

 

○○

飲料マグカップとラップトップ

>翻訳機はそう言っているのですね」というのは私の言葉ではありません。

では誰の言葉だというのだろうか。私の幻聴なのだろうか。

 

>また、あの演習のなかでipadを授業中に遊びで使っていると思っていた人はいないでしょう。

ここで以前のメールの内容を思い出していただきたい。

 

>××君は最後まで鉛筆やペンを持ってくることもなく、

では、ipadを遊びと勉強以外の目的でどうやって使ったのであろうか?

 

 

私はこれ以上らっきょう教授にメッセージを送っても無視されるかだろうと思い、

学生部を通じて対話の機会を狙ったのだった。

●第七章 議論

 

 

さて、慶応のシステムに、「成績評語質問用紙」というものがある。

現実的にはこれが唯一、学生側が教授に対して「ものいい」をできるシステムである。

すなわち先ほどメールの文章を載せたが、本来はラッキョウ教授も私のメールに答える必要はなく、

返信があっただけでもまだ良心的であるとも言える。私の親からメールが来て慌てただけかもしれないが。

ちなみに、学生部に教授へのメールを取り次いでもらうことは

不可能である。

未だに手書き(!)の成績評語質問用紙に汚らしい字で質問要綱をゴチャゴチャと書き込み、

私はラッキョウ教授に手紙を送った。教授は回答しなくても良いシステムになっているらしいが、

これ以上めんどくさい事をゴチャゴチャ言われたくないと考えたのだろう、きちんと返事が返ってきた。

 

 

私の送った質問はこうである。

 

「評語におけるテスト評価、授業評価の割合と、それぞれの

履修者の平均点、不合格者の数、合格者の最低点をお知らせください」

以下にラッキョウ教授の返信を載せる。

2019 3月末
ラッキョウ教授 
から 
私へ(質問制度)

お答えします。

 

お母様がメールに書かれた文学部システムへの苦情

進級必須科目の西洋史演習(独語)を

学生のドイツ語の必要度によって選択性にするべき、

四年でも取れるようにすべきとの御提案は、

西洋史専攻のスタッフ全員に伝えられました。

評語については、テストの結果と30回にわたる授業参加態度で

評価します。

 

××君のテストの成績は春学期が59点、

秋学期が9点でした。原典の購読に関しましては、

長期にわたり翻訳機による翻訳に特徴的な種類の間違いが

見受けられました。個別の単語を聞くと本人はわかりませんでした。

 

××君は、秋学期途中に翻訳機の使用をやめたということですが、

そもそも翻訳機の有無にかかわらず、

また他のドイツ語の教授の介在の有無に関わらず、

文章を訳出する上で個別の単語を調べて把握する作業は必須です。

に誤りがあればなおさらです。

 

例えば12月下旬の時点で××君が訳を申し出た文にあった

「市民」「自由」「法」「国家」「法治国家」「西洋」

という基本中の基本用語を本人は知りませんでした。

 

調べて把握した上で文章を日本語にして授業に臨まなければなりません。

個別の単語を知らずに文章を訳出することは

特定の手段に頼らなければ通常はできないことであると思います。

秋学期の途中からそれが翻訳機ではなくなったということで構いません。

 

各学生の普段の学習態度と学習結果は点数に表れます。

××君のみ特別扱いすると他学生との極端な不公平が生じます。

 

不公平という点ではテスト範囲の一部が昨年度と同じで××君だけ

二度チャンスがあり事実上の追試となりました。

 

授業では毎回テキストの半ページくらいを舐めるように

初級文法や初級語彙を確認しながら進みました。

 

ヨーロッパの歴史家が何を問題にしてどのような書き方をしているのか、それをどのように読んだらよいか、教員からの詳細な解説がなされ

学生からの質問や議論が飛び交いました。

 

××君のメールの世界にあるような誤解はありません。

合格点に達していない学生の数を含め、事実関係には誤りがあります。

評価基準について、授業・学習態度と試験結果は1:1です。

 

○○

飲料マグカップとラップトップ

>お母様がメールに書かれた文学部システムへの苦情

すなわち、こんなもん送りつけやがってこのクレーマーが、

という感情を言外に表しているようである。

>役

​マイナス一点。

>「市民」「自由」「法」「国家」「法治国家」「西洋」

何故増えたのだろうか?ラッキョウ教授のメールによれば

「市民」、「法律」、「法治国家」、「西洋」であったはずなのに何故増えたのだろうか。

 

自由Freiheit、国家staat、法治国家Rechtsstaatは授業中指摘されていない。

しかも国家「nation」は、はっきり覚えているのだが、

「教授、このnationは民族のnationでしょうか?

国家の概念はまだなさそうなので民族と訳そうと思うのですが」

という"質問"のときに出ただけである。

>基本用語を本人は知りませんでした

なるほど、質問をすると知らないと変換されてしまうようだ。

>学生からの質問や議論が飛び交いました

あの葬式のような静けさは・・・?

>××君のメールの世界にあるような誤解はありません

ちょっとびっくりしてしまった

 

また私の送った

「それぞれの履修者の平均点、不合格者の数、合格者の最低点をお知らせください」

という一文に一切答えていない。

ラッキョウ教授の世界ではこの一文は見えなくなっているようだった。

 

一連のことを愚痴っていたら、「ならハラスメント委員会に行けば?」と友達から言われたが、

ハラスメント委員会の最終判断は教授会に任されている。

すなわち身内が審議するということであり、

どう頑張ったとしても結果がひっくり返ることはないだろう。

ここに私は、万策つきたのであった。

●第八章 エピローグ

この二年間は私の精神と胃袋を破壊する以外の何者でもなかった。

2ヶ月をかけて訴え出てきたが、このようにどうにもならないのであればどうしようもなく、

私は留年を受け入れるしかなかった。しめて120万かかるのである。

ちなみに胃薬は月3000円、精神薬は月10000円、しめて一年間で16万円である。

逆流性胃腸炎と鬱病などというけったいな病気にかかってしまったばかりに、

なけなしのバイト代が消えていく。

さて、この一連の流れは何だったのであろうか。

結局教授とうまくやれずに、成績も取れないお前が悪い、と言われてしまえばその通りである。

精神を病もうが腹を壊そうが成績を取らなければ学生の本分を果たしていない。

 成績が悪いのに自意識とプライドが高く、

本ばっかり読んでいるような「おたく」は自分の本棚の写真を撮って

SNSにアップロードしがちだが、私がここで三田図書館の履歴を貼ったのは、

何も自慢したいというわけではなく、文学と歴史自体は好きだと言いたいがためである。

 

だが悲しいかな、私の愛は一方通行で、文学と歴史を学ぶ学部で大苦戦し、

四留もしてしまった。こういうのを下手の横好きという。

 

 

 

 しかしなんとなく好きという理由、進学が楽だと言う理由、

高校時代履修していたからという理由で、文学部西洋史専攻、

ドイツ語選択によくよく考えもせずに踏み込んだのは明らかな失敗であった。

 

 この失敗は、遡るとすれば未来について適当にとらえていた、

私の中学生時代から始まっていたのかもしれない。そう考えると、

なんともやりきれない気持ちになるのだった。

●なぜラッキョウ教授はかように

敵視したのか

ラッキョウ教授にかように敵視されたのはいかなる理由だったか?

これは「勉強態度は成績に現れます」というラッキョウ教授の玉音に

表れている気がする。内部、文学部、留年生、成績不良者となれば、

無能であるということになるのはラッキョウ世界観では当然の帰結であろう。

・「おたく的」

 1990年代から2000年代にかけての歴史的、保守的文壇にかけての特徴は、

「サブカル化」である。たとえば歴史専攻の学生の間で有名なのは、

塩野七生や司馬遼太郎だろうか。両者とも史学科卒業ではなく、論文を書いていない。

しかしその著作は歴史書として読まれている。すなわち、歴史論壇の「アマチュア化」である。

 

保守的論壇においては枚挙に暇がなく、ここであれこれ書くと長くなりすぎるので割愛する。

アマチュア化、サブカル化によって歴史が親しみやすくなったのは良かったが、

反面、「学校で教えない歴史」「今までの見解と異なる歴史」がもてはやされるようになった。

 

 また、「おたく」的、「サブカルチャー」にも「歴史」が進出し、

逆に「おたく、サブカル」側も「歴史」に関わってくるということが起こった。

 

その結果、例えば、「ヒトラーは共産主義者」「ハワイを攻略すれば日本は勝てた」などの

「新しい歴史」が台頭し、ある教授の話では、

「第二次世界大戦で日本は原子力空母を建造すれば勝てた」

というレポートを出してきた学生がいたそうである。

 

 本学の史学科のレベルとして、このような学生も少なからずいたのではないだろうか。

そして、ラッキョウ教授はこのような学生たちの発言に苦しめられてきたのではないだろうか。

 

そうなると、ラッキョウ教授の理解の中では、「おたく的、サブカル的学生」が

悪になるのも自然な展開である。

 

私は自己紹介で、「おたくサークルをやっている」と言った。

また、歴史が好きな「おたく」によく共通する事例で、体系的な知識が乏しいのに、

末節周辺の知識には詳しいという、まるで私のような部分がある。

このことから、ラッキョウ教授が最初から私に冷たい態度を取っていたのは、

以上の理由だったのではないだろうか。

 

 

・「枝葉末節」に詳しい小賢しさ

慶應の史学科は、少なくとも日本最高とは言いがたい。

例えばホロコースト系の研究をするのがラッキョウ教授のゼミで、

そのラッキョウチルドレンでも、

「ラインハルト・ハイドリヒが誰か知らない」

(つまり、慶應大学文学部西洋史の歴史観においては1942年5月27日に暗殺された金髪の野獣はこの地球上に存在しなかったことが導き出される)

「突撃隊と親衛隊の違いが分からない」

(よって1934年6月30日、レームはハンゼルバウアー・ホテルで愛人と平穏無事なたのしいひと時を過ごした)

「SSが何の略か知らない」などがあり

(もしかしたらあえて知らないふりをしていた可能性はあるが)、

このような知識は知らなくても高いGPAを狙うことができるので、枝葉末節の知識といえる。

 

ちなみに、EduRank.orgによれば慶應の史学は

日本で10位、アジアで109位、世界で598位だそうである。

 反面、私は成績が悪いのにこのような枝葉末節を知っていた。

ここがラッキョウ教授の逆鱗に触れたのではないだろうか。

すなわち、「バカはバカらしく黙っておけ」である。

 

私は授業態度の点数を上げようとしてこのような「クイズ」に積極的に答えたが、

これが完全に裏目に出た形である。

 

 

・内部生、留年生

 ラッキョウ的世界観では「内部生」はボンボンであり、

「留年生」はバカで勉強もできない怠慢なクズである。たしかに私に関してこれは当たっている。しかし、はじめから敵対的な態度を取られ、レッテルを貼られては挽回ができない。

しかしこれも結局は私の至らなさである。

 

 そもそも、内部の付属高校でちゃんと努力していれば文学部ではなく、

商学部か法学部に行けていた。

次になんとなく好きだからという理由でドイツ語と西洋史を選んでしまった。

できないならできないなりに、生き残る事を考えてしかるべきである。

 

つまり、きちんと先輩との人間関係をつくり、専攻の情報を得ていれば、

落ちやすくない専攻を選択できたはずである。

また、大学できちんと高いGPAを修めていれば西洋史専攻ではなく

社会学や倫理学といった別の専攻に進んでいた。

 

つまり、この大学三年間の留年は、

私の思春期から続く、人生を適当に考えていた事へのつけであったとも言えるだろう。

ラッキョウ教授の授業を共に取った18人のうち、4人が共に留年した。

●その後

さて、新学年後、私は西洋史の自分のゼミの教授のところに行き、挨拶をした。すると

「ああ、○○教授から君にルール違反があったことは聞いてるよ」

と返されたので、ルール違反というのは誤解であると答えようとしたが、二三言かわすうちに

「だから!教授にメールを送って成績を変えようとする!

その甘えた根性が問題なの!」

 

 

と怒り始め、最後には「もういい!」と取り付く島がなかった。

教授にメールを送ることは天皇陛下に直訴するのと同じくらい重罪なのだろうか。

田中正造になっちゃったかな

 

 

 どうも、私が送ったメールの後この教授とラッキョウ教授の間で話し合いがもたれ、

この教授はラッキョウ教授を支持する、ということになっていたらしい。

しかしその後、ラッキョウチルドレンの一人から、

ラッキョウ教授が「誰とは言いませんけど学生の卒論を

ろくに見ない教授がいるんですよね。どうしましょうかね」とその教授を

あげつらっていた事を聞いた。この世の中は悲しいことで満ちている。

味方をした人すら罵倒されなければならないとは。

それを聞いたとき、私はやるせない気持ちでいっぱいだった。

 

 

●後輩たちへ

 運よく大学に残れた私には、さらなる幸運があった。

ラッキョウ教授の授業は必修であり、そして担当教授を選ぶことができない鬼門であった。

しかし翌年、一年だけ担当教授が変わったのである。

私は結局Bの成績でその授業を終わることができ、今(2021)では卒業を待つばかりの日々である。

・文学部史学専攻に向いていない人

真面目系クズ、留年生、内部生、ボンボン、ネクラ、暗い、

おたく的、おたく的な顔、サブカル好き、滑舌が悪い、

友達が少ない、第二外国語が不得意、成績が悪い、

センター試験に出てこない範囲で特定の国に詳しい、特定の国が好き

なんで生計を立てているのかも、どんな素性の人間かもはっきりしない、おちぶれた放蕩者とか、ぐれて冒険的な生活を送っているブルジョアの子弟とかのほかに、浮浪人、兵隊くずれ、前科者、逃亡した漕役囚、ぺてん師、香具師、ラッツァローニ、すり、手品師、ばくち打ち、ぜげん、女郎屋の亭主、荷かつぎ人夫、文士、風琴ひき、くず屋、鋏とぎ屋、鋳かけ屋、こじき、要するに、はっきりしない、ばらばらになった、浮草のようにただよっている大衆、フランス人がラ・ボエムと呼んでいる連中

— 『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(カール・マルクス)

ここにキミの嫌いな属性を入れてキミだけのオリジナル二分間憎悪をしよう!

 

 

 

●さいごに

文学部のはしくれとして、名言を引用すると頭が良さそうに見える気がするので、

名言や和歌を引用する。

 

 

『途中から翻訳機を使わなくなったということで構いません。

「翻訳機はそう言っているのですね」というのは

私の言葉ではありません。あの演習のなかでipadを

授業中に遊びで使っていると思っていた人はいないでしょう。

××君は最後まで鉛筆やペンを持ってくることもなく』

(ラッキョウ教授)

 

 

『奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも侫人の伴』

 

(万葉集 第16巻 3836番歌)

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2021年に投稿した
原文はこちら

このページの文章は2021年に情動の赴くままに書いたものを

2025年の掲載に当たって手直ししたもので、執筆当時の執念や

情動・熱意といったものが失われてしまっているかもしれない。

当時の文章を読んでみたい方は、2021年版のnoteがあるので

​そちらを参照いただきたい。

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